鳥取砂丘で凧をあげることについて、考えました

前日、大山登山を終えた一行は、山を下り、海沿いを走り、鳥取砂丘へ向かいます。

しかし、鳥取って不思議なトコロですね。朝は、山の中にいて、「おいしい牛乳を飲みたい」って言っていたんですよ。さて、「牛乳だ」と出発して、30分も車を走らせると、ドーンと目の前に海が広がるんです。海と言えば、美味しいお魚です。海を見ながら、美味しい牛乳なんて言いませんよね、普通は。でも、鳥取ではそれもアリなんです。私たちだって、やりました。海辺の道の駅で、「おいしい大山牛乳」を飲んだんです。味?最高でしたよ。白い口紅をつけた子どもの顔が、証拠ですから。

大山の荒々しさに圧倒された心で、鳥取砂丘を眺めます。大山が男性的だとしたら、砂丘は女性的な景色ですね。やや殺風景かもしれませんけどね。静かな海と、静かな砂浜。そこから急角度にセリ上がる砂丘。一番高いところは「馬の背」と呼ばれるらしいですね。遠くから見ていても、砂丘のてっぺんに行ってみたくなります。せっかく、岐阜からここまで来たのですから。でもね、それはオトナの考えなんですよね。子どもは、今のところ砂丘を見ていません。だって、目の前に海が広がり、ハワイのような砂浜(すこし言い過ぎですね)が続いているのですから。砂丘よりは、海遊びでしょう。

鳥取砂丘で海遊び

海沿いを遊びながら砂丘へと近づきます。海水浴にはまだ冷たいです。それでも、水に入るんですね。実に気持ちよさそうに。彼らの本来の目的は、これだったのかと思ってしまいました。ところで、砂の急斜面を登ったこと、ありますか?真下に立つと、アリジゴクに入ったアリのような気分になります。あくまで、個人的な見解ですけれど。

誰かが、その急斜面をよじ登り始めました。学童が、飛び出します。年長はやや控えめに登っていきます。最も意欲的だったのが、大山ではお花摘みに徹していた二人でした。2歳児、砂丘面を登る、です。誰が手を差しのべるわけでなく、誰に後押しされるでもなく、登りきりました。目的や意味を超えて、本能の赴くままに、です。かっこいいですよ。

鳥取砂丘をよじ登る

鳥取砂丘を滑り降りる!

海辺は穏やかすぎて、凧揚げはあきらめていました。でもね、風が吹いていたんです。砂丘のてっぺんでは、気持ちの良い海風が吹いていました。ちょうど、凧揚げにふさわしい強さです。

一人が、海辺においてあった凧あげセットを取りに行きましたよ。砂丘を、脱兎のごとく走り降りて。園でつくった凧をそれぞれがあげました。風をうけて空に舞う凧、凧、凧。

正月の行事だと思っていましたが、5月に砂丘であげる凧は、生き生きしていました。これが2月では、北西の季節風が強すぎてダメでしょうね。8月なら、どうでしょうか。砂が熱すぎて、立っていられないでしょう。5月に、砂丘で、凧あげ。これが鳥取の正しい楽しみ方でしょうか。大人も、子どもも大満足です。

凧あげに大満足

時間が過ぎるのも気にせず、温泉までつかって帰りました。もしかして、また来るかも、なんて思いながらね。

「そうだ、大山に行こう」といえるのは、あなただけ

まずは個人的な四方山話。小さい頃から山登りが好きだった。百名山かどうかにはあまり興味はなかったけれど、近くの藪山、名前が素敵な響きの山(例えば「越百山」「御座山」「飯豊山」…)に登るのが好きだった。「とっとりだいせん」だって、気にいる方に入っていた。でも、中部地方に居を構える身として、鳥取にある大山は「いつか行けたらいい山」のひとつだった。行きたい気持ちはあれども、「よし、行こう」とまでは思わない。そんな山のひとつだった。

ところが、晴天の霹靂とでも言おうか、春に行われた保育園の運営委員会でのひとコマ。園長曰く「我ら、大山に登るべし。」と。冗談かと思った。でも、そこで冗談を言う人でも場でもなかった。その時すでに、保育園直属の車と思われても不思議ではない2台の青いプレマシーが鳥取に向けて疾走している様子が目に浮かんでいた。(実際には青いプレマシーは1台のみ参加だったが)

5月26日午前2時ごろ出発予定。朝8時ごろ登山口に到着する予定だった。出発前日の金曜日に仕事から帰ると、妻は「今から行くよ」と言うではないか。しばし、唖然。しかる後に、納得と決断。よし、行こう。たとえ晩酌をしそこなっても。たとえ名神高速がリフレッシュ工事をしていようとも。かくして、鳥取大山へ、そして鳥取砂丘への旅が始まった。

鳥取は遠かった。とりわけ、高速道路を降りてから宿泊地までが遠かった。それでも、闇の中にそびえているはずの大山を想像すると、胸は踊った。運転手以外は、深い眠りの中だったけれども。深夜3時。大山山麓のバンガローに「無事」到着した。

翌朝はよく晴れていた。登山日和である。信仰の山、そして全国的に有名な山であることを十分に感じさせる登山口を出発する。年長5人と園長、学童が2人、運転手兼付き添い兼お楽しみの大人が2人で登山だ。春から初夏へ移り変わりつつあるブナ林(素敵な色、香り、霊気?を感じる。来てよかった。)の中、気持ちよく登る。実によく整備された登山道だった。きっと想像を絶する数の登山者が訪れるのだろう。この「よく整備された」が問題。木枠や石段で階段状の登山道にしてある。園児や学童にとっては、自分の腰あたりまである段差だ。勢いをつけて登る子どもたち。なかなかやるじゃないか。

大山登山開始2012年9月

ブナ林から潅木に変わる頃、隊列は大きく二つに別れた。先と後。後のチームを(勝手に)園長に任せる。内緒のことだが、付き添い人とはいえ、頂上の一番乗りには参加したいのだ。周りの樹木が低くなるにつれ、登りは急になり、目の前に崩壊の進む山肌が圧倒的な迫力で迫る。かっこいい。来てよかった。頂上にたどり着く前に二度も「来てよかった」と思える山、今まであっただろうか。

山頂に近づくと、登山道は大きく変化する。いわゆる「木道」の登場だ。段差の激しい急登をへこたれずにやってきた後だけに、思わず走りたくなる。「ゆっくり行こうよ。」と言っても、「早く行きたい」と走り出す子。隊列がさらに別れていく。周りはダイセンキャラボク(と言うらしい)の木が一面に広がっている。その中を一本の木道が高みを目指して一直線に…。幻想的な風景だと思う。実際は、まわりには登山者がたくさん。モンベルショップから出てきたばかりのようなおしゃれな服装の若者、中高年などなど。斬新だが、幻想的ではない現実。大山は、洒落た山なのだ。

頂上で待つこと15分。先行組の残りがやってきた。一様に疲れた顔だが、やり遂げた者の目の輝きも…ないことはない。頂上で記念撮影を行い、海を眺め、雲を眺め、崩壊する足元を眺めた。昨夜通った高速道路も見えた。子どもたちは一体何を見ているのだろう。何を感じているのだろう。そして何が残るのだろう。

大山頂上2012年9月

待望の昼食タイム。ラーメン、スープ、いずれも既製品だ。食育の観点からは「×」だろう。しかし、ここは大山。山の上だ。空気と同じくらい、美味しいのだ。突然、オニギリを手に、年長のひとりが泣き出した。泣きじゃくる声を翻訳すると「お父さんがいい」のだそうだ。なだめすかして帰路の支度をする。園長と年長の二人はまだこない。引き返しの時間を待って、下山を始めた。安全第一が鉄則だから。

木道を降りていくと、前の方で「○○○~」園長の名を高らかに叫ぶ学童、そして年長。遅れていた3人が、途中であきらめることなく、一歩一歩を歩を進めてやってきた。ブナ林で見せていた消極的な表情は、登頂への期待や達成感、そしてたくましさに変わっていたように感じた。頂上まで、行くといい。そう思った。5月下旬、日は長い。天気が崩れる心配も、ない。道は一本。大丈夫。

下山は、難しい。ましてや、滑りやすく段差の激しい急な登山道。慎重に下る。あのこと、そのこと、このこと、あちこちに心配の種を撒きつつ下っていく。そんな付き添いのオトナを尻目に、子どもたちは楽しんでいた。目の前の雄大な景色を?否。大きなてんとう虫を見つけたり、木の葉をちぎって「お茶ができた」と騒いだり。形や色のおもしろい石を見つけたり。「自然から学ぶ」って、誰の言葉だったかな。誰でもいいけど、目の前の姿がそのものなのだと思った。たとえ、整備された登山道においても。

エピローグは温かい話を。登山口に足湯があった。大山登山の感興にひたる大人、幼児二人の託児をやりきった達成感にひたる、もう一人の大人。その間を、きゃあきゃあと動き回る子ども。その元気は、どこから来るのだろう。生きているって、すばらしい。

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