大野明子先生講演会「いのちを産む」講演録(2/3)

<――  フォト ストーリー  ――>

 実は、この写真とこの選曲では、院内ではシュミレーションしたのですが、外でやったのははじめてです。ご覧になって気がついてくださったと思いますが、写真は妊娠の時系列、最初、明日香医院の写真がありまして、その後、妊婦健診の様子、陣痛が始まって入院されたシーン、お産が進行していくところ、産まれる直前、産まれた瞬間、赤ちゃんが仏様みたいな顔で出ている写真もあったと思います。うちは分娩台がなくてですね、好き勝手な格好で産むということになっているので、四つん這いが一番多くて、6・7割くらいは四つん這い、それから、側臥位で産んでるお産もあったと思います。「五番」のお産も四つん這いでしたね。それから4人でご飯を食べている写真があったと思いますが、あれは朝ご飯なんですが、あの中の2人はその日の朝の3時か4時に産んでいて、お食事風景の写真が欲しかったので、宮崎さんに7時半まで待っていただいて撮ったという写真です。その日の夜中に産んで、とても元気にご飯を食べているという写真です。それから、さっきおっぱいのことも話しましたが、授乳を助産師がお手伝いしている写真がありましたが、あの方は初産婦さんで赤ちゃんが上手に吸い付けるということがとても大事なので、あれは昼間ですが、夜中も赤ちゃんが泣いたら、2時~4時までスタッフがつききりでお母さんと奮闘するということも非常にしばしばあります。写真の中に「ガイア五番」のお産の介助をしていた助産師、藤木と言いますが、去年お母さんになりまして、お産が始まったところとか、頭が出たところとかも、実は入っています。ここに今日は2人目と3人目のお産のお世話をさせていただいた敦賀の宮元由和子さんがいらしてくださっているのですが、由和子さんの3人目が産まれた後のご家族みんなで写っている写真も実は入っています。ちょっと宣伝しますと、この宮崎さんの写真を入れた本の出版準備をしていまして、2008年の1月に学研から出ます。
 
 今日はどういうお話をしようかな、と思ってきたのですが、前田先生から出生前診断について書いた4年前に書いた「子どもを選ばないことを選ぶ」に絡めたお話を、とおっしゃていただいたので主にそのお話をしようと思いますが、それ以前に、産科はかなり大変なことになっています。産科医が足りないと言われていますが、足りないというのは本当ですが、実はお産の現場から去って、婦人科や不妊治療に専念する方が増えて現場の産科医が減っているというという事実があります。今日ここに、うちで2人目お産をされて、もともと岐阜にお住まいで、岐阜大学の看護学部、助産師課程を卒業された田村香子さんがいらしています。田村さんは羽島市民病院に就職されたのですがここも、産科医の集約化のため来年の春に産科は閉鎖になると、聞いています。実は、助産師も足りず、地域の中核病院が休止になって、近くで産めないということもあるのです。

 今日は、4年前に「子どもを選ばないことを選ぶ」という、私の出生前診断に対する考えを書いた本ですが、それに絡めて少しお話をしようと思います。この本を書いた理由は、平成12年に、私たちのところで、春乃ちゃんという女の子が生まれました。この表紙の可愛いお嬢ちゃんです。今、小学校2年生になっています。ダウン症でした。私は、この春乃ちゃんとご両親とのお付き合いを通じて、とてもたくさん学ばせていただいたり、考えることがたくさんあって、春乃ちゃんへの可愛さ余って書いたのがこの本です。一番のメインのテーマは、出生前診断をして子どもを選別しないで、ということです。
 出生前診断というのは、具体的にはたとえば超音波がすごく発達していますので、心臓の病気とか、ダウン症の赤ちゃんも心臓の病気があったり、ちょっと足が短いとか、首の後ろが分厚いとか、超音波で見つかったりしています。そういうことからダウン症を疑うと、羊水穿刺といって、16週ぐらいで、おなかに針を刺して、羊水の一部をとって、その中の赤ちゃんの染色体を分析することによって、染色体の数が、普通は46本なのに、47本ある、21番目が3本ある21トリソミーだということがわかったりします。そのほかに、血清マーカーテストといって、妊娠中の15週に血液を採って、ダウン症の赤ちゃんだと羊水中に増える物質があって、それがお母さんの血液中に増えることから、それを三つとか四つ組み合わせて、ダウン症の確率が大体わかって、その確率が高ければ、羊水精査をして確定診断をする、ということが行われます。でもダウン症の赤ちゃんというのは探されたときに見つからないように隠れてるわけでもないので、技術が発達すればすごく簡単に、血清マーカーでも見つかるし、超音波でもちょっと怪しいな?って見つかってしまって、羊水の検査をすればほぼ確実に見つかってしまいます。たとえば、21トリソミーのダウン症の赤ちゃんは、正常染色体の赤ちゃんに比べて、流産とか胎内死亡になる確立も高いですけれども、それをくぐり抜けて生まれてきた子は、きちんと治療すると元気に育つことができます。
 春乃が健やかに生まれてきて、健やかに育つのを見ていたら、私はこの子はダウン症だから生まれてきてはいけないなんてことは、やっぱりないなあ・・と思ったわけです。
 さっき、愛されている子は愛情のオーラを放っているっていいましたけど、たとえば春乃を見ていると、この表紙の写真は、装丁をしてくださったデザイナーが目が離せなくなったとおっしゃっていた写真ですが、ご両親からの愛情のオーラが照りかえってるなあと思います。詳しくは、この本を読んでいただけるとわかるんですが、私は出生前診断をなさろうと思っていらっしゃる方を、決して非難しているわけでも、否定しているわけでもなくって、だた、出生前診断をするからには、それが自分の子どもを選ぶんだってことだけは認識してほしい。障害を持っていてもその赤ちゃんというのは、お母さんお父さんの遺伝子を持っているわけです。だから、その子が障害を持っていて、それが両親とか社会にとってちょっと都合が悪いから、そんな子はいらないというんであれば、自分の遺伝子も否定することになる。おそらく、あまりにも社会が複雑というか、疲弊してというか、非常につらいものになってきていますが、それでもやっぱり子どもを産もうと決めるということは、どんな子でも慈しんで育てると決めて、覚悟して妊娠するってことじゃないかなあと私自身は産科医として思っています。
 
 春乃ちゃんのお産前後のことについてちょっとだけお話しますと、このときは出生前診断はしていません。生まれてきてはじめてお顔立ちからわかったわけなんですね。で、お父さんにそうかもしれないとお話して、それでお母さんにお話して、今後どうしましょう。もちろんダウン症だからということで、NICU新生児集中治療室に搬送してもよかったのですが、全身状態がとてもよく、結局心臓の病気もなかったので、私たちのところでお世話しようということになって、染色体の検査も院内で行いました。お母さんは最初大変悲しまれて、入院のお部屋でずっと泣いておられたんですけれど、お母さんが言われるには、私や助産師たちが、「おめでとう!赤ちゃん可愛いね」って、いつもそうやっているのでいつも通りにやっていたようなんですが、その言葉でこのいのちは、おめでとうといってもらえる価値があるいのちなんだっていうふうに思った、とおっしゃっていました。
 ダウン症の赤ちゃんっていうのは、どうしても筋肉の力が弱いので、おっぱいを吸う力が弱いんですね。だけど、母子の愛着という意味からも、おっぱいとミルクの栄養の価値を比べても、それからおっぱいを吸うということは乳首を咀嚼して吸い、かつ口と脳はとても近いですから、直接脳にすごく刺激がいきます。そういう意味でも、おっぱいで、と思いました。すごく一生懸命やった結果、おかげさまで、最初はちょっと飲む力が弱くて大変だったんですが、お母さんの母乳の分泌がとてもよく、乳首の状態もよかったこともあって、本当におっぱいだけで育ちました。
 私たちが、ダウン症の赤ちゃんだからと言って、何か特別なことをしたかというと、飲む力が弱いのは35週や36週で生まれてきた赤ちゃんも同じですから、いつもやることと同じことをさせていただいていたわけです。
 私が、春乃ちゃんを見ていてわかったことは、どうしても私たちは医療者なので、医療について考えがちなんですけれども、子どもが日々育っていくということは、日々の暮らしであり、家庭であり、必要なものがあるとしたら、地域での療育、たとえば筋肉が弱いのであればそういうサポートをしながらやるという療育なんです。そういうことを教えられました。
 この本の帯に、「いのちをありがとう」という言葉がとってあるんですけれども、これは、春乃ちゃんのお母さんの言葉です。「春乃は春乃の100パーセントで生きてほしい」この言葉もとても印象的でした。
 そういうハンディキャップが赤ちゃんにあるとわかったとき、やはり大事なのは医療ではなく、療育なんです。それは、生活であり、暮らしであり、パートナーを始め、家族のサポートというのがすごく大事なわけです。彼女の場合、ご主人であるパートナーは歯医者さんだったんですけれども、お母さんより先に受け容れてサポートしてくださったという印象がとても強いです。お母さんはすべてを受け容れるのに、半年かかったとおっしゃっていましたが、実はこの後に弟が生まれています。さっきのフォトストーリーの中にも、春乃ちゃんの弟が生まれて、びっくりしている写真もあったんですけれども、その次の子どものときに、私とお母さんの中では、今度は出生前診断、超音波、具体的には羊水検査をやるかどうかというというのは、私たちの中ではそれなりに話し合いをしたことですが、私は、本当にどっちでもいいと思ってまして、彼女がお望みになればやりましょうと思ってましたら、結局彼女は春乃を育ててみて、下の子が生まれた頃は、春乃は3歳になっていましたから、もう一人ダウン症の子が生まれたとしても育てていくことができるから、出生前診断はいらない。そうおっしゃって、お産を迎えました。
 そのあと明日香医院では2人ダウン症の子が生まれています。一人はならちゃんといいます。ならちゃんはご両親に受け入れられて、健やかに育っていて、今元気な保育園児で、お母さんは建築家としてお仕事をしておられますが、一生懸命やっておられますね。本当にいろんなことがあって、お母さんが言っておられるのは、夫婦の関係をもう一度見つめなおしたと。ということで、時々お便りもいただきます。
 でも、同じように春ちゃんやならちゃんと同じようにお世話しても、結果が異なることがありました。Tちゃんと書いてありますけれど(スライド)、もう一人女の子が生まれまして、最初ご両親の受け容れは決して悪くないようにみえました。春乃ちゃんのお母さんは、長谷川知子先生という臨床遺伝医の先生にご紹介して、定期的に療育のご相談にも乗っていただいていて、ならちゃんのお母さんもそうなんですけれども、同じように紹介しても、非常に医療的な治療を期待してしまわれて、あまりうまくいかなくて、私たちのところにも3ヶ月くらいでいらしていただけなくて、なかなかこちらからいらしてくださいっていうのも難しいので、どうなさったかなあって思ってました。Tちゃんには心室中隔欠損症っていう病気があって、これは手術をしないといけないくらいの程度であったので、その手術を受けられたということは、その治療を受けるために勧められた先から聞いて知っていましたが、そのたびにお手紙は差し上げるんですがお返事はいただけない状況。で、この子が4歳を迎えたときに、ある小児科病院からお問い合わせがきたんですね。その子の出生前後はどうだったかと。それで、その後の様子が図らずもわかってしまったんですけれども、小児科の開業の先生の外来を介して、栄養不良ということで、そちらの病院に入院していると。4歳を過ぎても体重が6キロしかなくて、寝返りも打てなくて、精神発達だけでなくて、運動発達も著しく遅れている。で、低栄養なので入院治療しているということでした。やはり、ご家庭で、比較的ほっとかれたということだと思うんですけれども。すごくショックだったんです。お父さんが仕事で不在だったし、ご夫婦の関係にも不安定なところがもちろんあったし、上にお子さんが2人あって、とても手がかかる様子だった。そういうことがたくさんあって、思い当たることはいっぱいあるのですが・・。そういうことがあったときに、私たちにもっと何かできることがあったんじゃないかな。と思うわけなんですけれども、やはり産科医としては非常に限界を感じます。
 今年、全前脳胞症という病気がありまして、これは大脳が作られなくて、その代わりに水がたまっているという病気なんです。脳が欠けている程度にはいろいろありまして、非常に軽度だと生まれてきて、育つこともできるんですけど、その子の場合は生きることができないというタイプでした。妊娠12週で、最初からうちにかかっていらっしゃったわけではなく、2人目の妊娠でした。異常が見つかって、大学病院に紹介され、超音波や精密検査で、この赤ちゃんは生まれても生きることはできません、中絶しましょう。と言われたそうです。4カ所の医療機関を尋ね歩かれたそうですが、4カ所とも、人工妊娠中絶をしなさいと言われました。その頃には、胎動もあって、お母さんはとても中絶はできない、とお考えになり、最初お母さん以外は、ご主人も両方の両親も産むことに反対だったんですけれども、次第にその彼女の思いを受け容れてくださったようです。でも中絶しなさいと言われた施設で、祝福されないで産むことはできないと思われたようで、産む場所を探しておられて、私たちのところにご相談にいらっしゃいました。ちょうどもう20週になっていました。もちろん私が診せていただいても、診断は同じなんですけれども・・。できていないのは、脳だけじゃなくって、心臓にも病気があったり、いろいろありまして、おなかの中で亡くなる可能性も非常に高かったし、羊水がだんだん増えていって、お母さんのからだが苦しくなってしまうということも考えられました。お母さんの唯一願いは、「生きて、元気に生まれてほしい。」ということだったんです。なかなか難しいと思いましたけれども、経過を見ることになりました。だんだん、病気に伴ってですが、羊水が増えてきて、羊水が増えるとおなかがパンパンになりますから、お母さんも横になって寝れない、呼吸が苦しい、みたいな状態にだんだんなってきました。ただ逆にですね、それは32週だったんですけれども、今度は羊水が多くなって子宮が大きくなると、今度は子宮もバンバン張りますから、おかげさまで、陣痛が始まりました。お母さんの苦しさが限界に達したときは、やむをえないので人工的に陣痛を誘発しましょうか。というご相談もしていたところに陣痛が始まって、非常に安産で女の子が生まれてきてくれました。それで、1時間ぐらい生きていて、お母さんの胸で静かに亡くなりました。
 お母さんの願いは、生きて元気に産まれてほしい。ということで、まさに願いがかなったわけです。お母さんは、産んでよかった。とおっしゃって、とにかくパートナーと2人で可愛い可愛いといって抱っこしておられました。本当に不思議ですけれど、お母さんには5歳の姪御さんがいらっしゃって、その姪御さんが、赤ちゃんの言葉がわかるらしく、その子が亡くなった後、赤ちゃんは天国で神さまのお手伝いをして、これから生まれる赤ちゃんにプレゼントを配る仕事をしていて、寝る暇もないと。だから、とても元気にやっているから、大丈夫だってお母さんに伝えてね、ってそのお母さんに言うんだそうです。それで、またとっても不思議なことに、赤ちゃんが亡くなって49日が過ぎたときにその姪御さんは49日なんてぜんぜん知らないんですけど、その子は神さまに一生懸命やった仕事ぶりが認められて、昇格したんですね。契約社員が社員になったみたいに、なんかがなんかになったと言われたと。そんなことを言っていたら、次の赤ちゃんがやってきて、実は今妊娠中なんです。来年ちょうど同じくらいに生まれるので、お母さんは妊娠初期にすごーく心配しておられました。前回のお産の32週が近づいてくると、今度はお父さんが心配の塊になってるみたいですけれど、でも赤ちゃんはすくすくと元気なので、妊婦健診に心配していらしては、ニコニコして帰られてるってことを繰り返してます。
 
 ただですね、やっぱりこういうふうに受け容れ産むことを選ぶ方ばかりではないんです。何例か経験があるんですけれども、脳瘤って病気があって、すごく珍しい病気で、脳の一部が骨の外に飛び出しているので、超音波をみるとすぐにわかってしまうんですね。診断が難しい病気ではまったくなくて、生まれてきても生きることができません。その方は、14週で気がついてですね、ただ、たぶんその方はお産みにならないだろうなあって思ったんですが、だからといって14週で気がついているものを中絶ができない22週までは待っていられませんので、2回診て診断が間違いないところで、お話して、超音波の非常に得意な大学病院のある先生に紹介して、じゃあもう一度ご相談しましょうかと言ったところ、そちらでその場で中絶を決められて、その赤ちゃんは中絶してしまいました。
 ごく最近、無脳症という病気がありまして、その病気はお顔はできているんですけれども、頭の骨がなくて、脳もきちんとできていないという病気で、生まれてきて2・3日くらいは生きられるかもしれないけれども、その後は生きられないという病気です。最近、やはり早い週数で、その病気に気がつきまして、その時もやはりお産みにならないかなあと思ったので、もう一度同じ先生に診ていただいて、その方もお産みにならないとを決められました。
 もちろん、さっきの全前脳胞症の赤ちゃんも4カ所で中絶を勧められましたし、40週までおなかに入れておくのは大変でしょうということで、中絶をすすめるっていうのは、一般的には産科で行われていることですし、もちろんその選択肢もあると思います。けれども、私は全前脳胞症の赤ちゃんのように寿命だけおなかの中で生きて、赤ちゃん可愛いね。って妊娠中を過ごしてるという方法もあるんじゃないかなあと思って、そういうこともお話しするんですが、それぞれの選択はそれぞれのものですので、そういう選択ももちろんある訳です。
 こういうときに、私はすごく残念ですが、でも、思うのは、たぶん子どもというのは実はすごくよくわかっていて、たとえば9~10週とかで流産することもいっぱいありますしね、妊娠初期の流産は妊娠の3割くらいありますから、そういうことはしばしばあるんですが、多分そういうときには、赤ちゃんが何か染色体の異常があるとか、なにか生まれてくるには都合が悪いからそうなるわけですから、きっと赤ちゃんはわかってやってきて、「わかったよ」って還っていくんじゃないかという気がします。
 じゃあ全前脳胞症にしても、無脳児の赤ちゃんにしても脳に欠損があるわけですから、思考があるかちょっとわかりませんが、きっと魂はあると思うんです。そういう魂は、お母さんのところにやってきて、「お母さんわかった」って還っていくと思うんですね。ただ、ご両親がそういうご妊娠から、何か気付いてくださるといいなあと、そんなことも思ったりします。ただ赤ちゃんはわかっていて、中絶という選択もあらかじめ赤ちゃんから許されている、そういう気が私はしています。
 
 もうひとつ、お話しようかと思うのは、「五番」の中でちょうどお産の場面に、「転生」というタイトルがついていました。ああそうなんだ・・と思って見ていましたけれども、やっぱり魂っていうのは戻ってくることがあるなあって、気が付くことがしばしばあります。私たちのところに18トリソミーっていう病気の赤ちゃんがやってきたことがあります。18トリソミーっていうのは、21トリソミーよりはなかなか結果が厳しい染色体の病気で、18番が3本あるんですけれども、たいてい心臓の病気を伴います。かなり重い病気のことが多いです。その心臓の病気とか、合併症の具合にもよりますが、10歳ぐらいまで呼吸器をつけながら生きていられる子どもがあるっていうことはありますけれども、だいたいが胎内死亡も非常に多くて、生まれてきても生命予後は平均1週間ぐらい。ですから、非常に厳しい病気です。ある妊婦さんで、心臓の病気から18トリソミーに気付きました。30週でした。それで、そのときは心臓の病気の程度が非常に厳しくて、ちょっと手術とかの対象になるような病気ではなくて、私としては、胎内死亡ももちろんあるなあと思っていまして、いつもお願いしている高次施設の産科の先生と新生児科の先生に、診断していただいて、場合によっては、私たちのところでのお産でもいいのかなあ、どうしようかなあと思いながら紹介しました。あと3週間くらいしかもたないかもしれないと思ったので、わりと急いで紹介したんですね。紹介した日にはとても元気で、心臓を診てもらってやっぱりこういう病気ですね。ってことになって、そして、お母さんは入院されたんですけど、赤ちゃん翌日におなかの中で亡くなってしまいました。前日に心臓を診てくださった心臓の専門の先生は、すごく元気で心不全もなかったのに、びっくりされて、突然死みたいな形でおなかの中で亡くなってしまったんですね。で、その施設で、お産をして、私は赤ちゃんに会えてないんですけれども、そういうことがありました。で、お母さんは、次の妊娠怖いなあってずっとおっしゃっていたんですけれど、お父さんが「いいよ、また同じことがおきても大丈夫だから」っておっしゃって、そしたら赤ちゃんがすぐやってきたんです。最終月経は違っていたんですけれども、うちに来てくださって、予定日を決めてみたら、予定日がまったくおんなじ日だったんです。その偶然にすでにびっくりして、もちろん妊娠中はそういうことがありましたから、お母さんは心配していろいろありましたが、別にどうということもなく無事生まれました。亡くなったのは男の子で、今度生まれてきたのは女の子だったんですけれども、私たちはその子が帰ってきたっていうことがすぐわかったんですね。何ですぐわかったかというと、お産後の写真を見ていただいたようにお産後の赤ちゃんって言うのはきわめて覚醒していることも多いです。その子はまずお母さんの顔を10秒くらい見て、それからお父さんの顔を10秒くらい見て、それから私を10秒くらい見て、ということを、何度も何度も繰り返して、戻ってきたよ、ってことを教えてくれました。途中で私は耐えられなくなって、部屋の外に出て、逃げ出したんですけれど・・。そんなふうに帰ってきたことを教えてくれました。非常に不思議で、赤ちゃんの魂は、ご両親が産まないという選択も許していると言いましたけれども、魂が戻ってくることもあるんだなあ・・・。としばしば思っています。
 
 
 最後に、短歌を紹介したいと思います。私が今年の春に非常に感激した短歌で、明日香医院のホームページにも載せたりしているので、ご覧になった方もあるかもしれませんけど、
 「生まれたき みずからの意志つらぬきて 我はこの世にうまれしならむ」
という短歌で、これを作られた高松さんはすごく聡明な方で、97歳で去年亡くなっています。亡くなった後で、自費出版で「天機」という歌集が出てるんですけれども、朝日新聞に「折々のうた」というのが1面にあるんですが、大岡信さんの連載にこれが出ていたんですね。すごいなあと思って、連絡したら、ご遺族が歌集を送ってくださったんです。その歌集に、子連れで夫の家を出たとか、とても元気な人生を送られたことがわかるんです。この歌を読んで私が思ったのは、生きて元気に産まれてくるいのちも、障害を持って生きるいのちも、生きることのできないいのちもあります。先ほどいったように産まれてくることのできないいのちもありますけれど、すべて自らの意志を強く貫いているなあ・・・。ということがお産のそばにいるとよくわかりますので、この歌を紹介しようと思いました。

 先ほどお話したように、いま産科医療はめちゃめちゃになっていて、非常に不幸のどん底にあるような感じがあります。結果が望まないものであったときに、そのことをめぐって、産む人と医療者の間に軋轢が起こってしまう。結果的には、訴訟になったり、訴訟にならないまでも、その背後にいろんなことが起きる。今の訴訟件数からすると、産科医100人に1人が訴えられるようで、そうすると一件の訴訟の後ろに紛争が10倍あると考えられ、10人に1人ぐらいが1年に1回位、いろいろなことに巻き込まれる。たとえば24歳で医学部を卒業して、40年間やってるとすると、100分の1×40って、すごい高いなあと思います。残念ながら、現実はそういうことになっていて、ひどい医療者ももちろんいると思いますが、私の友人たちでこんなすばらしい人はいないという方が、やはり訴訟をされる立場になっておられるようなことを見聞しますと、とても残念だと思います。
 この間も新聞に、60歳の人が、アメリカに行って卵をもらい、体外受精をして戻ってきて、日本の個人病院がお産をひきうけたという記事がありました。あまりにも尋常でない事例で、この他にも卵子をもらって50代の高齢出産は結構あります。あまりにも無理すぎると言うか・・・。そういうことを言うと袋叩きにあうのかもしれませんが、やはり、どんなにしても身体年齢というのはあるわけですから、からだの生理を省みないようなことは、やはり異常になります。それから、生まれてくる赤ちゃんについていろいろ調べて、それで、じゃあいい子しか要らないって、いのちを操作できるような錯覚に陥っているとか。
 とにかくそういうことが全部くしゃくしゃになって、めちゃめちゃになっていると思います。お産を診ていると、やっぱりうまくいくものはどうやってもうまくいくし、うまくいかないものはどうやってもうまくいかない。本当に一生懸命やったときには守られてるって言うことが非常によくわかるわけで、自分に与えられたものを謙虚に生きるということが、とっても大事なんじゃないかなあと思う日々です。
 これで時間だと思うので、大変ありがとうございました。

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