そりすべり(2008/2/22~23)【園だより(2008/3)から】

文:篠原
 
 僕は、学童と一緒に夜着きました。園児たちはお風呂に行っていたのですが、帰ってくるなり「しのっち~!!」と駆け寄ってくるその声のいつにない感じからして、とんでもなくいい調子なのがうかがえました。部屋に入ってからも大暴れ。二段ベッド二つをつなぐランカン(?)のようなものを伝ってサルになったり。走り回る広さももちろんないのですが、そのベッドのあたりに全員が集まって大騒ぎ。僕は、あんなにテンションの高いあの子らを見たのは初めてだと思いました。前田さんによると、遠くに泊まりに来るといつもそうらしいです。ただ、ユウヒだけが、ささいなキッカケで途中から泣いていじけてしまいましたが。

 そして次の日。滑る前に長い朝ごはんの時間がありました。僕はコウヘイと学童と一緒に、外の「べっとひろあき」がゆうべ寝た穴でパン、もちを食べました。部屋の方でガスコンロで少しずつ焼いてくれてるため、すごく時間がかかる。交代で、それらを取りにいきました。途中からはなぜかそのがお店屋さんになって何度も持ってきてくれました。その時、毎回ソノが「持ってきたぞ~!!」など叫びながら笑顔で走ってくるのを見て、昨日のテンションはまだ続いているな、と確信。にしても、いつ終わるとも知れない、ゆったりとした時間でした。雪でトンネル(海賊の、らしい)を作ったり、雪を溶かしたお湯で紅茶を作ったりと遊びながらの食事。

 そしてついにそり滑り。昨日さんざんやったらしいですが、今日は園児が来ると、学童がすでに、コース外のガタガタの坂を滑り降りてジャンプするなどの遊びを編み出していたため、みんなそれに夢中。ほとんどそればかりやっていました。結構な吹雪の中、頭がびしょびしょになった子もいながら。途中で雪を崩してコースを変えたりしながら何度も何度もジャンプ。「おしりが痛い」と言いながらもやめられない。タイチロウが失敗して背中をうちましたが、みんなやめない。マユキは飽きてかなにか、途中から普通に上から滑っていましたが。

 そして部屋に帰ると、パックの鍋焼きうどんを作って食べる。そしてまた好き放題遊んでいると、焼きマシュマロが外ではじまる・・・、という夢のような時間。こりゃ楽しいだろうなあ。次は○○するよ、という半強制もない上、楽しいことばかりどんどん始まる。前田さんもそういう場だからか(?)いつもよりだいぶゆるいような。ハイテンションの謎が解けたような気がしました。

 そしてシメに、なんと雪をそりに入れただけの上に、カキ氷用シロップをかけて食べる!これが意外とうまい!!個人的にはカキ氷よりうまいと思った!これに群がるように食べて、でもスプーンが足りないからの交代もちゃんとできて。ただ、ユウヒだけがまた、スプーンを、「間違って」まだ食べてないのに取られたとかいうささいなことで泣き出し、まったく食べず。そのあとも車のドアで頭を打ち泣いたり(これはほんとに痛そうでしたが)、一人だけよく泣きました。お父さんはスキーまで借りてきて、リフトに乗って滑ってきたりと楽しんでいましたが。
 そして帰りにまたも温泉に寄りました。露天風呂は誰もいなかったこともあり、端に積もった雪を投げまくる。ツチダ兄弟はたまった所にダイブ。
 
 と、こんな感じで最後まで全開で楽しんだだろう2日間でした(一部僕は見てませんが)。

大野明子先生の講演を聞いて

大野明子先生の講演を聴いて市原さんが感想を書いて下さいましたので紹介します。

市原美幸
 ガイアシンフォニー第5番、素敵な音楽にのせてのスライド写真、そして大野先生のお話を聞き、自分が出産した時のことを思い出しました。“生まれたばかり子は仏様のような顔をしている”とおっしゃっていましたが、娘の誕生の際、主人の第一声も“お地蔵さんが出てきたのかと思った”でした。講演後、娘に会った瞬間、思わず抱きしめてしまいました。
 帝王切開についてお話を聞き、私が思っていた以上にリスクが高いということを知りました。私の周りにも帝王切開をした人が何人かいます。しかも、一人目で緊急帝王切開になった人がほとんどです。どれほど不安で辛かったことかと思います。帝王切開でなくとも、出産について聞くと、とにかく痛かった、出産後も会陰切開のあとが痛くて歩けない、第2子は考えられないなどというマイナスな話ばかりでした。
 私自身の出産を振り返ってみると、始めは近所の産婦人科に通っていました。妊娠中、ぎっくり腰になり腰痛に悩まされ、産婦人科の先生に言ったところ、出されたのがその場しのぎの湿布薬。この腰痛を持ったままで果たして出産に耐えられるのであろうか…と疑問を持ち、いろいろ調べ始めました。骨盤ケアをしてもらえる助産院の存在を知り、助産師さんから手当てしていただきました。さらに教えていただいた足湯法で腰痛はなくなりました。この時、医療との違いを実感しました。それからというものお産とはなんだろう…と考え始め、本を読みあさる日々。「分娩台よ、さようなら」の本も手に取りました。妊娠は病気じゃない、親からもらった健康な体、それなら医療行為は必要ない。助産師さんからいろいろな話を聞き、“健診5分、質問しても教科書どおりの答えしか返ってこない産婦人科”では教えてもらえないことをたくさん教えていただきました。そして、助産院でのお産を決めました。初産で何かあったらどうするの?自然裂傷したらあとが大変だから切ったほうがいいんだよ、等の母世代からの声。しかし、私の中では、いつの日からか会陰切開、分娩台、出産当日の担当医・助産師が誰になるかわからないということの不安のほうが強くなっていました。
 貧血があり、約1カ月も早い出産になったにも関わらず、無事助産院で、元気な赤ちゃんを産むことができました。陣痛・出産時の痛みはよく覚えていないけれど、映画の中でもでてきたように、主人や義母にうちわであおいでもらったこと、助産師さんの手のぬくもりは今でも鮮明に覚えています。
 今の時代いろんな情報で溢れていますが、良い面ばかりがクローズアップされ、リスクなどの悪い面は隠されている。悪い面に関してはそこに疑問を持ち、自分で調べて初めてわかるということがほとんどであるような気がします。私も腰痛がなければ、何の疑問を持つことなく、自分の体と向き合うことなく、あたりまえのように産婦人科での出産をしていたことでしょう。
 
 出生前診断についてはよく知らなかったのですが、絶対にしたくないと思いました。出生前診断をすることによって障害が見つかりショックを受ける。そして、産むか産まないかで悩む。そこで中絶を選んでも心身の傷は大きいし、産む決断をしたとしても不安な妊娠生活を送り出産を迎えることになる。そういうことを考えると、出生前診断をするということは、どの部分をとっても自分を苦しめることにしかならないという風にしか思えません。ではなぜ、出生前診断というのがあるのでしょうか。社会において障害者は“特別”で、障害=大変というイメージが強いからではないかと思います。
 私は以前に1年ほど障害児の通園施設で働いていました。私自身、それまでの生活の中で、障害のある人との関わりは全くなかったので、やはり障害者は特別なんだと思っていました。でも実際にダウン症や自閉症などの障害のある子どもたちと接してみて、発達に遅れがあったとしてもゆっくり成長していて、子どもにはなんら変わりないし、何よりかわいいと感じました。こんなことを言うと、一時の関わりだからそう思えるんだ、実際どれだけ大変かわかってない、と障害のある子を持つ親さん達から思われるかもしれません。でもそのとおりだと思います。どんなことに関しても、自分が当事者になったとき、経験したときに初めて真実がわかるのだと思います。もし、今の社会の中心に障害を持つ人がいて、身近にそういった人たちとの関わりがあり、障害を持つ子との暮らしというのがイメージできれば、たとえ障害のある子が生まれてきたとしても受け入れることができ、不安も軽減されるのではないでしょうか。医療の発達だけでなく、その後のサポートが重要なのではないでしょうか。
 今切実に思うことは、この映画やお産についての講演が教育現場で性(生)教育として全体で取り上げられること。大野先生の講演はお産を通して障害についても考えさせられたし、お産は様々な社会問題と密接に関係していると感じました。いじめ、少年犯罪、誰かが誰かを殺したというニュースが絶えない今日、お産について親と子、先生が一緒になって考え、語られることによって何かが変わるのではないでしょうか。

 現在第2子妊娠中。この時期にこのような素晴らしい映画を観ることができたこと、そして大野先生にお会いできたことに心より感謝します。次はどんなお産になるのだろう…今から楽しみで仕方ありません。本当にありがとうございました。

ご案内: 「2008年、7月か8月に大野明子先生をお招きしての学習会を計画しています。」

新幹線組家庭訪問と汽車組懇談会(そして お父さん飲み会)【園だより(2007/07)から】

(文:篠原 義朋)
 6月は、保護者の方々との交流が盛りだくさんでした。
 時系列は無視して、まずは家庭訪問から。私事ですが、家庭訪問は人生で初めてでした。それゆえ、行く前は「何をどう見ればいいのだろう」と不安でした。しかしいざ行ってみれば、驚きの連続でした。どこのお宅も同じ家はないのは、当たり前です。でも、それどころか、「似た家」すらない。

・なにも置いていない、といえるくらいすっきり整理された家。
・子どもが自分のおもちゃ部屋を持っている家
・机にキャラクターのシールがたくさん貼られ、TVも子どもの生活空間内にあり、おのずとつけてしまい、少なからず見ているという家
・庭で色々な植物を育て、そこでうさぎと遊んだり、ボール遊びができる家
・昔ながらの日本的平屋で、砂壁には子どもの絵が貼ってある家

 どこの家も、驚きでした。どの子についても、「こういう家に住んでいたのか!!」と思いました。よく考えてみれば、私は、「小さい子どものいる家」というのをほとんど知りません。自分の幼いときを思い返すか、数少ない、現在子どもを持つ友人宅を参考にするかしかないのです。ですから、すべてが新鮮でした。子どもの最大の基盤になる場所は、やはり家だと思います。それを明確に見ることができたので、今後子どもの気持ちの動きを見る上で、大きく参考にしたいと思います。そしてどのお宅も、その大切な場である家を、子どもの安らぎ、楽しさを考えて空間作りをしておられることに嬉しく思いました。保護者の方々の子どもへの愛情を改めて感じました。
 懇談会も同様です。六家庭で二時間というとても短い時間でしたが、皆さんが、保育園に何を期待・希望し、何を不安に思っていられるのか。子育てにおいて何を当面の課題とされているか。とても重要なそのことを、情けなくも、初めて知りました。それ以来、私の子どもを見る目が、未熟なりに変わりました。無理なく、成長させてあげたい。その為に、今、何を見るべきか。保護者の方々や先輩達の見解を鵜呑みにするのではなく、自分なりの目も培っていきたいですが、当面の取っ掛かりがようやくできたように思っています。今後も、また機会があればお話する時間を持ちたいです。
 また、開催趣旨は異なりますが、お父さん飲み会も非常に保育への助けになりました。今月あったこの三つどれもに言えることですが、私にとっての一番の収穫は、保護者の方々への誤った認識が取れたことです。くさぶえというかなり特徴ある園にお子さんを預けておられることから、保護者の方々もみな、とてもストイックに、斎藤公子理論に忠実にのっとって子育てをされていると思っていました。でも、そうではない。もちろん、賛同して取り入れておられることもある。でも、まだ知らないこともあれば、取り入れるのが不安なこともある。言ってしまえば、(現時点では)納得ができないこともある。お父さん飲み会はとても楽しくもありました(実に、岐阜に来て最も楽しい時間・・・五時間半でした 笑)が、今回挙げた三つの中で、ダントツに、お父さんたちの葛藤、悩み、不安に壁なく触れることができた日でもありました。

 みなさん、子育てに、園での保育に、喜んで下さっていることもあれば、不安もある。不満もある。当たり前のことです。そして、そのどれもの後ろに、お子さんへの深い愛情を感じました。改めて、保育士というのは重要な仕事だと思いました。心地よい重みとして、皆さんの期待、悩みを肩に感じながら、未熟者ではありますが、今後保育していきたいと思います。
 各々の、企画、ご参加、ご協力、ありがとうございました。

 
何だか60過ぎの定年退職されたどこかの校長先生の訓話のようです・・・ね。(前田)

2007年 元日登山

(文:前田)

 今年は総勢11名、4世帯で金華山を「馬の背コース」で登り、下りは伊奈波神社への初詣でもかねて「七曲がり」を選んだ。元日の午前は空いていた、駐車場も山も。

 40分くらいで岐阜城に着く。子ども4人の親子連れの家族が落花生を手に、小鳥にエサをやっていた。私も便乗してこぼれていた落花生を拾い手のひらにのせると、ほどなく小鳥がエサを取りにきた。その素早さと小鳥の足の感触がとっても可愛らしい。
 小鳥の名前はヤマガラ、と教えてもらった。こんなことをしているとあっという間に時間が過ぎる。

 いっしょに行ったコウちゃんは何やらニヤニヤしてイイモノを持っていた。
 見ると中国から日本に働きにきている若いおねえさん3人から中国のお菓子をもらっていた。聞くと、「コウちゃんねえ、サンドイッチ食べてるのかと思ってじっと見とったら、くれたもん。」米の粉で作った”らくがん”のような白いお菓子だった。
 みんなで取り合って食べていたら、コウちゃんはまたもらいに行っていた。今度は袋ごともらっている。恥ずかしいやら、嬉しいやら・・・・・。まわりを見ると若い女の人ほとんどが中国の人だった。

 2007年の山登りは金華山に落花生を持って、何度も来よう。ヤマガラに名前が付けられるくらい通ってみたい。

西穂高岳へ行ってきました。(2006.9.19)【文:ゆめぱぱ】

8/30・31日で、西穂山荘へ行ってきました。
 盆過ぎから計画していたが、天候不良で月末までのびのびに。ただ、待った甲斐もあってすばらしい天候の中登山を楽しむことができました。

<1日目>
 早朝保育園を出発。途中、整備中の岐阜県警のヘリコプターを見てから11時頃新穂高ロープウェイへ。
 ロープウェイに乗ると、観光や登山できた人達から“西穂山荘まで行くの?すごいねぇ”と言われ、早くも御機嫌の子供達。雨がぱらつくあいにくの天候であったが、明日の天気の回復を見越して出発。ロープウェイからは、宿泊地である西穂山荘までの約1時間半の道のり。出発すると、晴れ間も覗いてくる。nishiho01.jpg
 最初は緩やかなアップダウンで、最後に急な登りが控えている。この道のりで、やはり年長・学童の子は他の登山者を追い抜きながら、ひょいひょい登っていってしまうが、年中の子は息も絶え絶えといった感じで登る。そんなこんなしながらも無事に山荘に到着。あたりは一面真っ白けで何も見えない。が、ここからが子供の本領発揮で、夕飯までの間、残った体力を振り絞り(?)元気に外で遊ぶ。まるで保育園で遊んでいるようだ。夕飯もさぞ美味しかったことだろう。夕飯後は早々に睡眠。

<2日目>
 昨日とうって変わって快晴。日の出も見ちゃったもんね。朝食後、行けるところまで行ってみようと、西穂高岳を目指す。山荘から30分ほど歩いた展望台で周りの山々を眺めながら、一番の楽しみの“おやつタイム”を堪能する。nishiho03.jpg
 昨日は真っ白けで周りの山なんて見えなかったけど、今日は良く見える。昨日乗ってきたロープウェイが眼下に見えたりして、この展望台からの眺望を楽しむ。そんな時、昨日来るときに見かけたヘリコプターが遠くを飛んでいくのを見かけて、“どこへ行くんだろう”って話で盛り上がった。
 ここから、約30分ほど登ったところ(独標手前)まで行って下山。昨日からずっとお父さんの背中に背負われていた2歳のゆめちゃんも山荘までの道のりを自力で下山した。
 山荘からの下山は、空腹との戦い。みんな良く我慢して歩きました。
 天気も良くなって、楽しい山歩きができてよかったね。

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