ホンモノのSLに乗ったよー。(2006.3.15)

 静岡県の大井川鉄道では今でも蒸気機関車が走っている。金谷~千頭まで、約1時間とちょっと。その間にトンネルが14もある。
3月13日、4・5歳児6人を連れて、日帰りの旅。青春18切符を使って。 

 

 朝7時55分JR高山線那加駅を出発して戻ってきたのは18時3分。10時間のほとんどが電車とSLの中。朝の東海道線は通勤時間帯でぎゅうぎゅう。大きなリュックを背負っている幼児6人は異質な存在。とくに一宮~名古屋間は満員で、お孫さんのいるような初老の紳士が、向かい合った座席と座席の間に子どもたち4人を押し込んでくれて大助かり。
 何かと話題になるケンちゃんはこの満員電車の中でもパニックにならなかった。

 大井川鉄道は観光化されていて、車掌さんはマイク片手に歌をうたったり、ハーモニカを吹いてくれたりの大サービス。今日はC10 8号機という蒸気機関車が客車5両を引っ張る。客車も当時のもので、本当にぼろぼろ、子ども達は窓が開くレバーに興味を持った。
 ooigawa.jpgトンネルに入ると、石炭を焚いている匂いが客車に入ってくる。この匂いをくさぶえにおみやげにしようとビニール袋に詰めたが、うまく持っていけるだろうか・・・。
 千頭に着いて写真を撮っていたら、機関士さんが機関室に乗せてくださって、真っ赤に燃える石炭を見た。真っ赤に燃える石炭の熱さと石炭の燃える匂いを子ども達は忘れないだろう。そして、煙と蒸気の違いも。SLの煙突からは煙が出ているけれど、機関室の下からは蒸気が出ていた。
 何にでも匂いを嗅ぐ癖のあるケンちゃんは、家に帰っておみやげにもらった石炭の匂いを確かめただろうか。

たてわり保育(2006.2.6)

当番  4・5歳児は1週間交代で、ご飯当番と小さい子当番という2種類の当番があります。他に班長さんが決まっていて、朝の会の司会をします。
 ご飯当番の仕事は、昼食・おやつの準備・片付けです。テーブルのセットや台拭き、食器の片付け、そして小さい子たちがこぼしたものも雑巾とチリトリを持って、丁寧に拭き掃除します。とても大変な仕事ですが、聡太くんがご飯当番のメンバーにいるのといないのとでは大違い。4歳児くらいだと、ひとつの仕事を頼んでも、ちょっとやると、ふらーっとどこかへ行ってしまうのですが、聡太くんはずーっと雑巾とチリトリを持って、やってくれます。

 小さい子当番は、1・2歳児の昼寝前の着替えや、オシッコをしたときに雑巾で拭く、パンツ・ズボンを替える、昼食とおやつの前に一緒に手を洗いに行き、おしぼりを絞る、というような仕事です。りょうちゃんはよく、小さい子のことをやってくれるのですが、遼平くんも着替えのお手伝いを根気よくやってくれています。
 最近遼平くんがリズムで「五色の玉」をやっている時、まきちゃん、しょう君が自分のところに来ると、必ず、顔をのぞき込んで、ちょっと、その子の手をさわったり、背中にふれたりするのです。このことは、たまたま、先日の「五色の玉」の時に遼平くんの隣にいたので気付いたのですが、本当に微笑ましく、小さい子への遼平くんの想いが伝わってきます。小さい子を慈しむ何気ないしぐさは、遼平くんの心の豊かさです。

2歳児  たっちゃんとしんちゃんは3歳で、少し前までは、リズムはやらないで、ふたりで重ねた机の上にまたがって、ごっこ遊びをしていることが多かったのですが、リズムの「いとぐるま」で4・5歳児の輪に入って、横ギャロップで振り回されてもふたりとも転ばずについて来ています。
 たっちゃんは、年長児が絵を描いているところをじーっと見に来ています。0歳1歳くらいで入園した子たちの、模倣力と年長児を憧れる気持ちは、脳に焼き付いてしまうようです。3歳の時代の育ち方が違うように思います。

右脳から左脳へバトンを渡すとき(2006.1.15)

右脳から左脳へバトンを渡すとき~マルシャーク作「森は生きている」を観て~

こんにゃく座のオペラ「森は生きている」の歌は楽しい。
舞台が抽象的で音楽中心の劇だから、歌の楽しさに気持ちがいってしまう。
みんなで遊ぶ「森は生きている」ごっこは全ての年齢のどの発達段階にある子も楽しめる。
特に「そりの歌」は最高だ。

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『こんにゃく座』と『劇団仲間』の両方がこの東海地方にもやってきた頃は両方観に行ったものだ。
両方ともそれぞれに楽しく面白かった。
 『こんにゃく座』の生ピアノと歌声の素晴らしさ、舞台は抽象的で幼児期の子どもにはちょっと理解するには難しい、と言われていた。
 『劇団仲間』は新劇と言われるジャンルだけに舞台装置が美しく、季節が一瞬にして変わるところは見ごたえがある。登場人物の衣装もきれいで華やかだ。出てくる動物、ウサギやリス,狼やカラスや熊の着ぐるみもとてもリアルで子ども達は大喜びだ。何より視覚に訴える。

 こんにゃく座が聴覚なら、劇団仲間は視覚というふうに言えるだろう。
 1月5日、東京新宿、紀伊国屋サザンシアターでの、劇団仲間による「森は生きている」の千秋楽を観に行った。年長児ふたりと一緒に。
 「森は生きている」の絵本を読み、林光の歌もほとんど知っている。私にとっては数年ぶりだったけれど、内容の濃さに驚き、感動した。それは、「言葉―せりふ」が生きていた。言葉のもつ意味が確実に意味を持って語られていた。ただの言葉、ただのせりふではなく。みなしごの境遇の悲しさや、女王の後半のせりふの一言一言の重みが6歳という年齢の子どもの脳に確かに届いたと思った。それは、主役であるみなしごや女王に限らず、年老いたカラスやウサギ、リスそれぞれの1月から12月までの月の精の役割や、先生や老兵士たちの役作りが、役と役者個人とのあいだの対話がしっかりと成されていなければ、今回のような、「森は生きている」に出会えなかっただろう。

 絵本や歌で「森は生きている」の内容は知っている子ども達、でもそれをどんなふうに理解し、感じていたのだろうか・・・。

 脳の発達は小脳→中脳→大脳、大脳は右脳→左脳と発達するらしい。(右脳は主に絵や音、左脳は文字・数字・言葉をつかさどると言われている。)このことを私たちは実践をもって知っている。それはいろいろな育ちの遅さを持った子たちが教えてくれた。誤った早期教育はこの順を取り違えている。認識が遅く、言葉の出ない子でもメロディは口ずさむ。でも言葉の意味を理解することは難しい。
 今回の「森は生きている」を観た子どもは、この演劇を通して、はっきりと「言葉のもつ意味」の理解の仕方がわかったと思う。右脳から左脳へのバトンの渡し方としては、最高のステージだったと思う。

クリスマス会(2006.1.9)

12月18日の予定でしたが、大雪のため12月25日になりました。
 昨年あたりから、クリスマス会の様相が変わってきた。以前のクリスマス会といえば、[大人がやる、子どもは見る]というパターンだった。それがどういうわけか、子ども達から「○○がやりたい」と言ってくる。ほとんどはごっこ遊びの延長からである。

 昨年は「孫悟空」を男の子達が中心になってやる、と言いだした。すると女の子たちが、「したきりすずめ」にする、という。その元になっているのは紙芝居で、孫悟空の紙芝居を読んだ後、子ども達はそれぞれに孫悟空や猪八戒や牛魔王になりきっている。ことに盛り上がるのは、ひょうたんに悟空が吸い込まれる場面だ。ひょうたんがないので、家で、絵を描いて塗って切り抜いて保育園に持ってくる。こっそりだれかの名前を呼ぶと、ひょうたんに吸い込まれてしまう、うかつに名前を呼ばれても返事ができない日々が続く、というわけだ。その後、おじいちゃんの家に本物のひょうたんがあった、とか言って、立派なひょうたんが届くようになる。こうして、昨年のクリスマス会は子ども達中心の劇になった。「したきりすずめ」はキャストも多いため、保育士も含め、なかなか見所の多い劇に仕上がっていった。
 
 さて、「今年のクリスマス会は、何をしたい?」と子ども達に尋ねると、「大道芸」という。そして劇は「コッペルとダブスン」(正式名称は「ちいさなきかんしゃ」)がやりたい。ということだった。もう子ども達はコッペルをやりたい子とダブスンをやりたい子が決まっていた。

 今年のクリスマス会の評判のよさは器楽合奏だった。4・5歳児と1・2・3歳児とに別れて演奏したが、始めに4・5歳児が舞台に立った時の観客の騒然とした雰囲気と拍手。 
 子ども達が持っていた楽器は、空き缶、なべのふた、ダンボールと柄のついた針山、豆の入ったペットボトル、竹の棒2本、熊よけの鈴、唯一本物の楽器はタンブリンと鈴だけだった。曲目は4・5歳児が〈ジングルベル・赤鼻のトナカイ・そりのうた〉1・2・3歳児は〈あわてんぼうのサンタクロース・とびはねろ・雪やこんこ〉曲目も子ども達が決めた。
 
 誰がどの楽器を持つかはその日によって違うので、練習らしい練習がなかった。でもとにかく楽器を鳴らしたがる子ども達、リズム感のいい子も、そうでない子もとにかく楽しい。クリスマス会が終わってからもやりたい、と言った。

根ノ上高原に流星群を見に(2006.1.9)

11月18-19日  根ノ上湖の隣の塔のある丘の上で

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 実際はこんなに流れ星は見えなかったけれど、こんな絵を描きました。満月を背にして焚き火を囲んで、星を見ました。

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