大野明子先生の講演を聞いて

大野明子先生の講演を聴いて市原さんが感想を書いて下さいましたので紹介します。

市原美幸
 ガイアシンフォニー第5番、素敵な音楽にのせてのスライド写真、そして大野先生のお話を聞き、自分が出産した時のことを思い出しました。“生まれたばかり子は仏様のような顔をしている”とおっしゃっていましたが、娘の誕生の際、主人の第一声も“お地蔵さんが出てきたのかと思った”でした。講演後、娘に会った瞬間、思わず抱きしめてしまいました。
 帝王切開についてお話を聞き、私が思っていた以上にリスクが高いということを知りました。私の周りにも帝王切開をした人が何人かいます。しかも、一人目で緊急帝王切開になった人がほとんどです。どれほど不安で辛かったことかと思います。帝王切開でなくとも、出産について聞くと、とにかく痛かった、出産後も会陰切開のあとが痛くて歩けない、第2子は考えられないなどというマイナスな話ばかりでした。
 私自身の出産を振り返ってみると、始めは近所の産婦人科に通っていました。妊娠中、ぎっくり腰になり腰痛に悩まされ、産婦人科の先生に言ったところ、出されたのがその場しのぎの湿布薬。この腰痛を持ったままで果たして出産に耐えられるのであろうか…と疑問を持ち、いろいろ調べ始めました。骨盤ケアをしてもらえる助産院の存在を知り、助産師さんから手当てしていただきました。さらに教えていただいた足湯法で腰痛はなくなりました。この時、医療との違いを実感しました。それからというものお産とはなんだろう…と考え始め、本を読みあさる日々。「分娩台よ、さようなら」の本も手に取りました。妊娠は病気じゃない、親からもらった健康な体、それなら医療行為は必要ない。助産師さんからいろいろな話を聞き、“健診5分、質問しても教科書どおりの答えしか返ってこない産婦人科”では教えてもらえないことをたくさん教えていただきました。そして、助産院でのお産を決めました。初産で何かあったらどうするの?自然裂傷したらあとが大変だから切ったほうがいいんだよ、等の母世代からの声。しかし、私の中では、いつの日からか会陰切開、分娩台、出産当日の担当医・助産師が誰になるかわからないということの不安のほうが強くなっていました。
 貧血があり、約1カ月も早い出産になったにも関わらず、無事助産院で、元気な赤ちゃんを産むことができました。陣痛・出産時の痛みはよく覚えていないけれど、映画の中でもでてきたように、主人や義母にうちわであおいでもらったこと、助産師さんの手のぬくもりは今でも鮮明に覚えています。
 今の時代いろんな情報で溢れていますが、良い面ばかりがクローズアップされ、リスクなどの悪い面は隠されている。悪い面に関してはそこに疑問を持ち、自分で調べて初めてわかるということがほとんどであるような気がします。私も腰痛がなければ、何の疑問を持つことなく、自分の体と向き合うことなく、あたりまえのように産婦人科での出産をしていたことでしょう。
 
 出生前診断についてはよく知らなかったのですが、絶対にしたくないと思いました。出生前診断をすることによって障害が見つかりショックを受ける。そして、産むか産まないかで悩む。そこで中絶を選んでも心身の傷は大きいし、産む決断をしたとしても不安な妊娠生活を送り出産を迎えることになる。そういうことを考えると、出生前診断をするということは、どの部分をとっても自分を苦しめることにしかならないという風にしか思えません。ではなぜ、出生前診断というのがあるのでしょうか。社会において障害者は“特別”で、障害=大変というイメージが強いからではないかと思います。
 私は以前に1年ほど障害児の通園施設で働いていました。私自身、それまでの生活の中で、障害のある人との関わりは全くなかったので、やはり障害者は特別なんだと思っていました。でも実際にダウン症や自閉症などの障害のある子どもたちと接してみて、発達に遅れがあったとしてもゆっくり成長していて、子どもにはなんら変わりないし、何よりかわいいと感じました。こんなことを言うと、一時の関わりだからそう思えるんだ、実際どれだけ大変かわかってない、と障害のある子を持つ親さん達から思われるかもしれません。でもそのとおりだと思います。どんなことに関しても、自分が当事者になったとき、経験したときに初めて真実がわかるのだと思います。もし、今の社会の中心に障害を持つ人がいて、身近にそういった人たちとの関わりがあり、障害を持つ子との暮らしというのがイメージできれば、たとえ障害のある子が生まれてきたとしても受け入れることができ、不安も軽減されるのではないでしょうか。医療の発達だけでなく、その後のサポートが重要なのではないでしょうか。
 今切実に思うことは、この映画やお産についての講演が教育現場で性(生)教育として全体で取り上げられること。大野先生の講演はお産を通して障害についても考えさせられたし、お産は様々な社会問題と密接に関係していると感じました。いじめ、少年犯罪、誰かが誰かを殺したというニュースが絶えない今日、お産について親と子、先生が一緒になって考え、語られることによって何かが変わるのではないでしょうか。

 現在第2子妊娠中。この時期にこのような素晴らしい映画を観ることができたこと、そして大野先生にお会いできたことに心より感謝します。次はどんなお産になるのだろう…今から楽しみで仕方ありません。本当にありがとうございました。

ご案内: 「2008年、7月か8月に大野明子先生をお招きしての学習会を計画しています。」

大野明子先生講演会「いのちを産む」講演録(1/3)

2007年10月21日に行われた、『映画「地球交響曲第五番」上映会と大野明子先生(明日香医院)講演会の講演録を掲載します。』(長文のため三分割しています)

 「ガイアシンフォニー五番」を見ていただいて、「五番」でお産の場面がありましたが、あれは私どものところで撮影したものです。今日はそういうご縁でこちらにお招きいただきまして、大変ありがとうございます。
 お手元に私たちの本当に小さな小さな診療所ですけれども、リーフレット3つ折のもの、届いておりますでしょうか。岐阜ですと、多分個人開業医さんもたいへん大規模にやっておられて、土地も広くて、車も何台も停まっていることだと思いますが、うちはそんなこと全然なくて、100坪ちょっとの土地に、小さな2階建ての木造の家が建っておりまして、映画に映ってるとおりですけれど、お産の部屋がひとつと入院していただく部屋が2つ、外来診察室がひとつあります。スタッフは私と常勤助産師が5名おりまして、月、15件、年間150件くらいのお産のお世話をしています。
 今日、前田先生がいくつか資料をご用意してくださっているようで、お手元に別刷りのコピーですが、「命を奏でる映画『地球交響曲第五番』――明日香医院でのお産の場面を語る――」というテーマで、医学書院から出ております、助産雑誌に載せた記事です。「ガイアシンフォニー五番」封切が平成16年の夏でした。その後、私たちの診療所でも上映をさせていただいたんですが、龍村さんと宮崎雅子さんというカメラマンと私の3人で対談した記事です。
 これからカメラマンの宮崎雅子さんが撮ってくださった明日香医院での写真をお目にかけますが、宮崎さんとどういうかかわりだったかをお話しますと、「ガイアシンフォニー五番」の画像はきれいな画像なんですけれども、ガイアばかり撮っていらっしゃる赤平さんというカメラマンがいらっしゃって、すごーい厳つい男の人で、元暴走族かなんかで、すごく面白い服を着ていて、お父さんが洋服屋さんだったそうで、派手なチェックのスーツとかそういうのを着ているすごい厳ついおじさんなんですが、ガイアは、そのおじさんがきわめて繊細に撮影しておられる映像がほとんどなんです。その赤平さんがお産の場面を撮るといったときに、うちは狭くて、分娩室も狭いので、赤平さんの体が入るかって問題もありますけれども、そもそも赤平さんの雰囲気で分娩室で撮るとお産はどうなっちゃうかわからないってこともありました。
 最初にこの別刷りを読んでいただくと書いてあるんですが、実はお産をしてらっしゃる方は、龍村監督の奥さんのゆかりさんなんですね。ゆかりさんの第二子のお産なんですけれども、龍村監督は「五番」の撮影が始まって、ラズローさんをイタリアに撮りに行ってるときに、ゆかりさんの妊娠がわかって、ゆかりさんは私たち明日香医院の妊婦さんとして、通院してくださっていたんですね。で、そういう中で、「五番」の中にお産の場面を入れたいなあと監督がお思いになったようで、ゆかりさんが妊婦として通院していらっしゃったので、撮れませんか?という話になりました。
 私たちのところでは、宮崎雅子さんはフリーのカメラマンなんですが、子どもの写真とかお産の場面を撮ることをライフワークにしてらっしゃる女性のカメラマンで、もう10年以上ずっとお付き合いがありまして、産婦さんが自分のお産を撮ってほしいと希望されると、宮崎さんがお産の日に来てくれて、写真を撮って、一冊のアルバムにして、作品に仕上げてくれる、と。そういうようなことで仕事をしていらっしゃいまして、私たちのところでも100例ぐらい撮っておられるんじゃないかと思います。そういう何年にもわたる宮崎さんとのお付き合いがありまして、宮崎さんに撮っていただけますか?という話が監督のほうからありました。
 ですので宮崎さんは、スチールの普通のカメラマンなので、いつもはスチールで撮っていますが、このときだけはポータブル映画用カメラを持って、分娩室に入る。私たちにとっては、それだけのことだったんです。そういうことでお断りする理由もなにもないのでお引き受けしたんです。なので、実際の「五番」の映像で、気がつかれなかった方もいらっしゃるかもしれませんけど、お産の場面だけちょっと暗くて、短い画面になっています。ほかの場面は横長のワイドだったと思いますが。それは、一応映画用なんですが、ホームビデオよりは大きいけれど、ふつうの映画用のカメラに比べると大分小さいデジタル用のハンディーカメラで撮っているからなんです。そんなふうに、宮崎さんも無事間に合って、お産の場面が撮れたので、そんなことをこの別刷りの中で話しています。読んでいただけたら、大変幸いです。
 それから、「五番」の映画のパンフレットの中には、龍村さんとの映画のパンフレット用にお話した対談もありまして、今日パンフレットも売ってられるということですけれども、明日香医院のホームページでも載せてあります。
 
 私たちのところは、本当に分娩台も手術室もない小さな産科診療所です。そこで、どんなことをやりたいかというと、自然なお産と母乳育児をやりたいと思っています。それは、実は当たり前のなのですが、今、日本ではそういう当たり前のことが難しくなっています。私たちのところの1550例の中では帝王切開率は2パーセントぐらいですが、世の中を見回すと、全国平均で20パーセント位、東京都にかぎると30パーセント位になるようです。
 それから、おっぱいということに関しても、人間の子には人間のおっぱいというのは本当に当たり前だと思い、助産師が一生懸命にやってくれて、おかげさまで一ヶ月健診の母乳率98パーセントぐらいでやれています。しかし、日本中を見渡すと、厚生労働省が10年に一回3000人ぐらいの母子を対象に調査をやっているのですが、2005年の調査の発表されたものでは1ヶ月健診の母乳率はなんと、42パーセントしかいません。それが3ヶ月健診となると30パーセント代になります。年々下がっていて、その前は1995年、その前は1985年の調査で、大体の数字で言うと1985年は48パーセントぐらい、1995年には45パーセントぐらいになり、2005年には42パーセントになってしまった。1ヶ月検診時点で半分の赤ちゃんもおっぱいを飲んでいない。その厚生労働省の調査を見ると、ミルク育児のお母さんは離乳食にベビーフードを使っている人が多いこともわかります。
 おっぱいで育てるということは、その子の将来の食生活にとても大事だと思うのですが、半分以下ということで、非常に嘆かわしい状況です。ただ実際に第一子をおっぱいケアに熱心でない施設で出産し、第2子でこちらにこられた方の話を聞くと、赤ちゃんを産んですぐに新生児室に引き離されて、新生児室においとかれて、会陰切開の後がすごく痛くて歩けなくて、それで授乳室に昼間だけ通ってて、夜は寝てたらそりゃあ母乳育児は無理だよね。ってことはもちろんあるわけです。やはり98パーセントになるためには、それなりにお産をして、産後それなりにお世話しなきゃいけないわけです。
 そんなふうにやっているんですけれど、ちょうど明日香医院も開院して10年になりまして、しみじみ思うことは、今日私はここにいらっしゃった方にお伝えしたいことは、皆さんご存知かもしれないんですけど、子どもを可愛がる力の源は、お産にあると思っています。妊娠中に、赤ちゃんが生まれて可愛いと思えるかどうかわからないとおっしゃる方は時々あるんですけど、やはりそういう思えるのはきっと当たり前で、母性というのは女の人には誰にも生まれつき備わっているというものではなくて、本当に育つもので、赤ちゃんがおなかにやってきて、おなかの中で少しずつ育って、おなかも大きくなるし、赤ちゃんも蹴ったりする。そういうふうに月が満ちて、陣痛が始まって赤ちゃんが自分で生まれてきて、それで、おっぱいというのはお母さんの血液から作ってますから、そういう血液から作ったおっぱいで赤ちゃんを育てる。で、赤ちゃんはちゃんと自力でおっぱいを飲む。そういうふうに、自分のいのちが新しいいのちを育てるということ通じて、母性は育つし、子どもを可愛いと思えるんだろうと私は思っています。「自分で産んだ」という自己肯定感、自分のからだへの肯定感と言うのは、女の人にとって、とても財産になると思います。そういうことを思ってやってきた、というよりはむしろ、1500以上のお産をお世話させていただいて、産む人たち、赤ちゃんたちから、教えられたと実感しています。
 映画の中で、「愛された子どもは人を愛する能力が育つ」と言っているところを、ちょうど龍村さんがピックアップして強調していますが、本当にこれも常々思うところです。愛されている赤ちゃんというのは、可愛いんですよね。それは、愛されてるオーラが、赤ちゃんから照りかえるように可愛い。それは、子どもを見ていて、本当に思うことなんです。そういうふうに子どもを、無条件に可愛いと思えるから、子どもを受け容れられて、子どもも育つんだろうなあと思っています。
 先ほど、「五番」で映像を見ていただいたわけですが、これから宮崎雅子さんが私たちのところで撮った写真、動画でなくて静止画、スチールですが、これをお見せしようと思います。私は、フォトストーリーと名付けていますが、今日は、宮崎さんの写真を90枚くらい持ってきました。曲に乗せて流します。この曲はアメリカ、アイダホ州にお住まいのケリー・ヨストさんというピアニストで、「ガイアシンフォニー五番」では、前半でバッハのプレリュード、最後にパッフェルベルのカノンが入っています。
 ヨストさんはコンサートを一切しなくて、パートナーであるご主人と一緒にCDを自主制作され、そのCDを売ってるという、コンサートをしないタイプのピアニストなんですが、この「ガイア五番」の後の「六番」にヨストさんが出演しておられます。「六番」は音がテーマですが、とても良くて、いろんな曲が紹介されています。今日はヨストさんのアルバムから、バッハのプレリュードから始めて、パッフェルベルのカノンまで4曲もってきました。このお産の写真をいろんな音楽にのせて、どんなにしたら一番いいかなあなんて、合わせてみるんですけれど、なかなか合う曲がなくて、エンヤがいいかなあと思うと案外そうでもなくて、今までは鈴木重子さんていうボーカリストのアルバムにのせていたのですが、今回ヨストさんのピアノに乗せてみた新作です。さっきの映画の音楽とちょっとダブりますけれども、ヨストさんの曲もいろいろあって、いろんなのに合わせてみて、どうもいちばんしっくりくる組み合わせが、結局「五番」の中で、龍村監督が使っておられたもので、ああ監督はすごいなあと思いました。ではやってみます。ご覧ください。うまくいきますように。

大野明子先生講演会「いのちを産む」講演録(2/3)

<――  フォト ストーリー  ――>

 実は、この写真とこの選曲では、院内ではシュミレーションしたのですが、外でやったのははじめてです。ご覧になって気がついてくださったと思いますが、写真は妊娠の時系列、最初、明日香医院の写真がありまして、その後、妊婦健診の様子、陣痛が始まって入院されたシーン、お産が進行していくところ、産まれる直前、産まれた瞬間、赤ちゃんが仏様みたいな顔で出ている写真もあったと思います。うちは分娩台がなくてですね、好き勝手な格好で産むということになっているので、四つん這いが一番多くて、6・7割くらいは四つん這い、それから、側臥位で産んでるお産もあったと思います。「五番」のお産も四つん這いでしたね。それから4人でご飯を食べている写真があったと思いますが、あれは朝ご飯なんですが、あの中の2人はその日の朝の3時か4時に産んでいて、お食事風景の写真が欲しかったので、宮崎さんに7時半まで待っていただいて撮ったという写真です。その日の夜中に産んで、とても元気にご飯を食べているという写真です。それから、さっきおっぱいのことも話しましたが、授乳を助産師がお手伝いしている写真がありましたが、あの方は初産婦さんで赤ちゃんが上手に吸い付けるということがとても大事なので、あれは昼間ですが、夜中も赤ちゃんが泣いたら、2時~4時までスタッフがつききりでお母さんと奮闘するということも非常にしばしばあります。写真の中に「ガイア五番」のお産の介助をしていた助産師、藤木と言いますが、去年お母さんになりまして、お産が始まったところとか、頭が出たところとかも、実は入っています。ここに今日は2人目と3人目のお産のお世話をさせていただいた敦賀の宮元由和子さんがいらしてくださっているのですが、由和子さんの3人目が産まれた後のご家族みんなで写っている写真も実は入っています。ちょっと宣伝しますと、この宮崎さんの写真を入れた本の出版準備をしていまして、2008年の1月に学研から出ます。
 
 今日はどういうお話をしようかな、と思ってきたのですが、前田先生から出生前診断について書いた4年前に書いた「子どもを選ばないことを選ぶ」に絡めたお話を、とおっしゃていただいたので主にそのお話をしようと思いますが、それ以前に、産科はかなり大変なことになっています。産科医が足りないと言われていますが、足りないというのは本当ですが、実はお産の現場から去って、婦人科や不妊治療に専念する方が増えて現場の産科医が減っているというという事実があります。今日ここに、うちで2人目お産をされて、もともと岐阜にお住まいで、岐阜大学の看護学部、助産師課程を卒業された田村香子さんがいらしています。田村さんは羽島市民病院に就職されたのですがここも、産科医の集約化のため来年の春に産科は閉鎖になると、聞いています。実は、助産師も足りず、地域の中核病院が休止になって、近くで産めないということもあるのです。

 今日は、4年前に「子どもを選ばないことを選ぶ」という、私の出生前診断に対する考えを書いた本ですが、それに絡めて少しお話をしようと思います。この本を書いた理由は、平成12年に、私たちのところで、春乃ちゃんという女の子が生まれました。この表紙の可愛いお嬢ちゃんです。今、小学校2年生になっています。ダウン症でした。私は、この春乃ちゃんとご両親とのお付き合いを通じて、とてもたくさん学ばせていただいたり、考えることがたくさんあって、春乃ちゃんへの可愛さ余って書いたのがこの本です。一番のメインのテーマは、出生前診断をして子どもを選別しないで、ということです。
 出生前診断というのは、具体的にはたとえば超音波がすごく発達していますので、心臓の病気とか、ダウン症の赤ちゃんも心臓の病気があったり、ちょっと足が短いとか、首の後ろが分厚いとか、超音波で見つかったりしています。そういうことからダウン症を疑うと、羊水穿刺といって、16週ぐらいで、おなかに針を刺して、羊水の一部をとって、その中の赤ちゃんの染色体を分析することによって、染色体の数が、普通は46本なのに、47本ある、21番目が3本ある21トリソミーだということがわかったりします。そのほかに、血清マーカーテストといって、妊娠中の15週に血液を採って、ダウン症の赤ちゃんだと羊水中に増える物質があって、それがお母さんの血液中に増えることから、それを三つとか四つ組み合わせて、ダウン症の確率が大体わかって、その確率が高ければ、羊水精査をして確定診断をする、ということが行われます。でもダウン症の赤ちゃんというのは探されたときに見つからないように隠れてるわけでもないので、技術が発達すればすごく簡単に、血清マーカーでも見つかるし、超音波でもちょっと怪しいな?って見つかってしまって、羊水の検査をすればほぼ確実に見つかってしまいます。たとえば、21トリソミーのダウン症の赤ちゃんは、正常染色体の赤ちゃんに比べて、流産とか胎内死亡になる確立も高いですけれども、それをくぐり抜けて生まれてきた子は、きちんと治療すると元気に育つことができます。
 春乃が健やかに生まれてきて、健やかに育つのを見ていたら、私はこの子はダウン症だから生まれてきてはいけないなんてことは、やっぱりないなあ・・と思ったわけです。
 さっき、愛されている子は愛情のオーラを放っているっていいましたけど、たとえば春乃を見ていると、この表紙の写真は、装丁をしてくださったデザイナーが目が離せなくなったとおっしゃっていた写真ですが、ご両親からの愛情のオーラが照りかえってるなあと思います。詳しくは、この本を読んでいただけるとわかるんですが、私は出生前診断をなさろうと思っていらっしゃる方を、決して非難しているわけでも、否定しているわけでもなくって、だた、出生前診断をするからには、それが自分の子どもを選ぶんだってことだけは認識してほしい。障害を持っていてもその赤ちゃんというのは、お母さんお父さんの遺伝子を持っているわけです。だから、その子が障害を持っていて、それが両親とか社会にとってちょっと都合が悪いから、そんな子はいらないというんであれば、自分の遺伝子も否定することになる。おそらく、あまりにも社会が複雑というか、疲弊してというか、非常につらいものになってきていますが、それでもやっぱり子どもを産もうと決めるということは、どんな子でも慈しんで育てると決めて、覚悟して妊娠するってことじゃないかなあと私自身は産科医として思っています。
 
 春乃ちゃんのお産前後のことについてちょっとだけお話しますと、このときは出生前診断はしていません。生まれてきてはじめてお顔立ちからわかったわけなんですね。で、お父さんにそうかもしれないとお話して、それでお母さんにお話して、今後どうしましょう。もちろんダウン症だからということで、NICU新生児集中治療室に搬送してもよかったのですが、全身状態がとてもよく、結局心臓の病気もなかったので、私たちのところでお世話しようということになって、染色体の検査も院内で行いました。お母さんは最初大変悲しまれて、入院のお部屋でずっと泣いておられたんですけれど、お母さんが言われるには、私や助産師たちが、「おめでとう!赤ちゃん可愛いね」って、いつもそうやっているのでいつも通りにやっていたようなんですが、その言葉でこのいのちは、おめでとうといってもらえる価値があるいのちなんだっていうふうに思った、とおっしゃっていました。
 ダウン症の赤ちゃんっていうのは、どうしても筋肉の力が弱いので、おっぱいを吸う力が弱いんですね。だけど、母子の愛着という意味からも、おっぱいとミルクの栄養の価値を比べても、それからおっぱいを吸うということは乳首を咀嚼して吸い、かつ口と脳はとても近いですから、直接脳にすごく刺激がいきます。そういう意味でも、おっぱいで、と思いました。すごく一生懸命やった結果、おかげさまで、最初はちょっと飲む力が弱くて大変だったんですが、お母さんの母乳の分泌がとてもよく、乳首の状態もよかったこともあって、本当におっぱいだけで育ちました。
 私たちが、ダウン症の赤ちゃんだからと言って、何か特別なことをしたかというと、飲む力が弱いのは35週や36週で生まれてきた赤ちゃんも同じですから、いつもやることと同じことをさせていただいていたわけです。
 私が、春乃ちゃんを見ていてわかったことは、どうしても私たちは医療者なので、医療について考えがちなんですけれども、子どもが日々育っていくということは、日々の暮らしであり、家庭であり、必要なものがあるとしたら、地域での療育、たとえば筋肉が弱いのであればそういうサポートをしながらやるという療育なんです。そういうことを教えられました。
 この本の帯に、「いのちをありがとう」という言葉がとってあるんですけれども、これは、春乃ちゃんのお母さんの言葉です。「春乃は春乃の100パーセントで生きてほしい」この言葉もとても印象的でした。
 そういうハンディキャップが赤ちゃんにあるとわかったとき、やはり大事なのは医療ではなく、療育なんです。それは、生活であり、暮らしであり、パートナーを始め、家族のサポートというのがすごく大事なわけです。彼女の場合、ご主人であるパートナーは歯医者さんだったんですけれども、お母さんより先に受け容れてサポートしてくださったという印象がとても強いです。お母さんはすべてを受け容れるのに、半年かかったとおっしゃっていましたが、実はこの後に弟が生まれています。さっきのフォトストーリーの中にも、春乃ちゃんの弟が生まれて、びっくりしている写真もあったんですけれども、その次の子どものときに、私とお母さんの中では、今度は出生前診断、超音波、具体的には羊水検査をやるかどうかというというのは、私たちの中ではそれなりに話し合いをしたことですが、私は、本当にどっちでもいいと思ってまして、彼女がお望みになればやりましょうと思ってましたら、結局彼女は春乃を育ててみて、下の子が生まれた頃は、春乃は3歳になっていましたから、もう一人ダウン症の子が生まれたとしても育てていくことができるから、出生前診断はいらない。そうおっしゃって、お産を迎えました。
 そのあと明日香医院では2人ダウン症の子が生まれています。一人はならちゃんといいます。ならちゃんはご両親に受け入れられて、健やかに育っていて、今元気な保育園児で、お母さんは建築家としてお仕事をしておられますが、一生懸命やっておられますね。本当にいろんなことがあって、お母さんが言っておられるのは、夫婦の関係をもう一度見つめなおしたと。ということで、時々お便りもいただきます。
 でも、同じように春ちゃんやならちゃんと同じようにお世話しても、結果が異なることがありました。Tちゃんと書いてありますけれど(スライド)、もう一人女の子が生まれまして、最初ご両親の受け容れは決して悪くないようにみえました。春乃ちゃんのお母さんは、長谷川知子先生という臨床遺伝医の先生にご紹介して、定期的に療育のご相談にも乗っていただいていて、ならちゃんのお母さんもそうなんですけれども、同じように紹介しても、非常に医療的な治療を期待してしまわれて、あまりうまくいかなくて、私たちのところにも3ヶ月くらいでいらしていただけなくて、なかなかこちらからいらしてくださいっていうのも難しいので、どうなさったかなあって思ってました。Tちゃんには心室中隔欠損症っていう病気があって、これは手術をしないといけないくらいの程度であったので、その手術を受けられたということは、その治療を受けるために勧められた先から聞いて知っていましたが、そのたびにお手紙は差し上げるんですがお返事はいただけない状況。で、この子が4歳を迎えたときに、ある小児科病院からお問い合わせがきたんですね。その子の出生前後はどうだったかと。それで、その後の様子が図らずもわかってしまったんですけれども、小児科の開業の先生の外来を介して、栄養不良ということで、そちらの病院に入院していると。4歳を過ぎても体重が6キロしかなくて、寝返りも打てなくて、精神発達だけでなくて、運動発達も著しく遅れている。で、低栄養なので入院治療しているということでした。やはり、ご家庭で、比較的ほっとかれたということだと思うんですけれども。すごくショックだったんです。お父さんが仕事で不在だったし、ご夫婦の関係にも不安定なところがもちろんあったし、上にお子さんが2人あって、とても手がかかる様子だった。そういうことがたくさんあって、思い当たることはいっぱいあるのですが・・。そういうことがあったときに、私たちにもっと何かできることがあったんじゃないかな。と思うわけなんですけれども、やはり産科医としては非常に限界を感じます。
 今年、全前脳胞症という病気がありまして、これは大脳が作られなくて、その代わりに水がたまっているという病気なんです。脳が欠けている程度にはいろいろありまして、非常に軽度だと生まれてきて、育つこともできるんですけど、その子の場合は生きることができないというタイプでした。妊娠12週で、最初からうちにかかっていらっしゃったわけではなく、2人目の妊娠でした。異常が見つかって、大学病院に紹介され、超音波や精密検査で、この赤ちゃんは生まれても生きることはできません、中絶しましょう。と言われたそうです。4カ所の医療機関を尋ね歩かれたそうですが、4カ所とも、人工妊娠中絶をしなさいと言われました。その頃には、胎動もあって、お母さんはとても中絶はできない、とお考えになり、最初お母さん以外は、ご主人も両方の両親も産むことに反対だったんですけれども、次第にその彼女の思いを受け容れてくださったようです。でも中絶しなさいと言われた施設で、祝福されないで産むことはできないと思われたようで、産む場所を探しておられて、私たちのところにご相談にいらっしゃいました。ちょうどもう20週になっていました。もちろん私が診せていただいても、診断は同じなんですけれども・・。できていないのは、脳だけじゃなくって、心臓にも病気があったり、いろいろありまして、おなかの中で亡くなる可能性も非常に高かったし、羊水がだんだん増えていって、お母さんのからだが苦しくなってしまうということも考えられました。お母さんの唯一願いは、「生きて、元気に生まれてほしい。」ということだったんです。なかなか難しいと思いましたけれども、経過を見ることになりました。だんだん、病気に伴ってですが、羊水が増えてきて、羊水が増えるとおなかがパンパンになりますから、お母さんも横になって寝れない、呼吸が苦しい、みたいな状態にだんだんなってきました。ただ逆にですね、それは32週だったんですけれども、今度は羊水が多くなって子宮が大きくなると、今度は子宮もバンバン張りますから、おかげさまで、陣痛が始まりました。お母さんの苦しさが限界に達したときは、やむをえないので人工的に陣痛を誘発しましょうか。というご相談もしていたところに陣痛が始まって、非常に安産で女の子が生まれてきてくれました。それで、1時間ぐらい生きていて、お母さんの胸で静かに亡くなりました。
 お母さんの願いは、生きて元気に産まれてほしい。ということで、まさに願いがかなったわけです。お母さんは、産んでよかった。とおっしゃって、とにかくパートナーと2人で可愛い可愛いといって抱っこしておられました。本当に不思議ですけれど、お母さんには5歳の姪御さんがいらっしゃって、その姪御さんが、赤ちゃんの言葉がわかるらしく、その子が亡くなった後、赤ちゃんは天国で神さまのお手伝いをして、これから生まれる赤ちゃんにプレゼントを配る仕事をしていて、寝る暇もないと。だから、とても元気にやっているから、大丈夫だってお母さんに伝えてね、ってそのお母さんに言うんだそうです。それで、またとっても不思議なことに、赤ちゃんが亡くなって49日が過ぎたときにその姪御さんは49日なんてぜんぜん知らないんですけど、その子は神さまに一生懸命やった仕事ぶりが認められて、昇格したんですね。契約社員が社員になったみたいに、なんかがなんかになったと言われたと。そんなことを言っていたら、次の赤ちゃんがやってきて、実は今妊娠中なんです。来年ちょうど同じくらいに生まれるので、お母さんは妊娠初期にすごーく心配しておられました。前回のお産の32週が近づいてくると、今度はお父さんが心配の塊になってるみたいですけれど、でも赤ちゃんはすくすくと元気なので、妊婦健診に心配していらしては、ニコニコして帰られてるってことを繰り返してます。
 
 ただですね、やっぱりこういうふうに受け容れ産むことを選ぶ方ばかりではないんです。何例か経験があるんですけれども、脳瘤って病気があって、すごく珍しい病気で、脳の一部が骨の外に飛び出しているので、超音波をみるとすぐにわかってしまうんですね。診断が難しい病気ではまったくなくて、生まれてきても生きることができません。その方は、14週で気がついてですね、ただ、たぶんその方はお産みにならないだろうなあって思ったんですが、だからといって14週で気がついているものを中絶ができない22週までは待っていられませんので、2回診て診断が間違いないところで、お話して、超音波の非常に得意な大学病院のある先生に紹介して、じゃあもう一度ご相談しましょうかと言ったところ、そちらでその場で中絶を決められて、その赤ちゃんは中絶してしまいました。
 ごく最近、無脳症という病気がありまして、その病気はお顔はできているんですけれども、頭の骨がなくて、脳もきちんとできていないという病気で、生まれてきて2・3日くらいは生きられるかもしれないけれども、その後は生きられないという病気です。最近、やはり早い週数で、その病気に気がつきまして、その時もやはりお産みにならないかなあと思ったので、もう一度同じ先生に診ていただいて、その方もお産みにならないとを決められました。
 もちろん、さっきの全前脳胞症の赤ちゃんも4カ所で中絶を勧められましたし、40週までおなかに入れておくのは大変でしょうということで、中絶をすすめるっていうのは、一般的には産科で行われていることですし、もちろんその選択肢もあると思います。けれども、私は全前脳胞症の赤ちゃんのように寿命だけおなかの中で生きて、赤ちゃん可愛いね。って妊娠中を過ごしてるという方法もあるんじゃないかなあと思って、そういうこともお話しするんですが、それぞれの選択はそれぞれのものですので、そういう選択ももちろんある訳です。
 こういうときに、私はすごく残念ですが、でも、思うのは、たぶん子どもというのは実はすごくよくわかっていて、たとえば9~10週とかで流産することもいっぱいありますしね、妊娠初期の流産は妊娠の3割くらいありますから、そういうことはしばしばあるんですが、多分そういうときには、赤ちゃんが何か染色体の異常があるとか、なにか生まれてくるには都合が悪いからそうなるわけですから、きっと赤ちゃんはわかってやってきて、「わかったよ」って還っていくんじゃないかという気がします。
 じゃあ全前脳胞症にしても、無脳児の赤ちゃんにしても脳に欠損があるわけですから、思考があるかちょっとわかりませんが、きっと魂はあると思うんです。そういう魂は、お母さんのところにやってきて、「お母さんわかった」って還っていくと思うんですね。ただ、ご両親がそういうご妊娠から、何か気付いてくださるといいなあと、そんなことも思ったりします。ただ赤ちゃんはわかっていて、中絶という選択もあらかじめ赤ちゃんから許されている、そういう気が私はしています。
 
 もうひとつ、お話しようかと思うのは、「五番」の中でちょうどお産の場面に、「転生」というタイトルがついていました。ああそうなんだ・・と思って見ていましたけれども、やっぱり魂っていうのは戻ってくることがあるなあって、気が付くことがしばしばあります。私たちのところに18トリソミーっていう病気の赤ちゃんがやってきたことがあります。18トリソミーっていうのは、21トリソミーよりはなかなか結果が厳しい染色体の病気で、18番が3本あるんですけれども、たいてい心臓の病気を伴います。かなり重い病気のことが多いです。その心臓の病気とか、合併症の具合にもよりますが、10歳ぐらいまで呼吸器をつけながら生きていられる子どもがあるっていうことはありますけれども、だいたいが胎内死亡も非常に多くて、生まれてきても生命予後は平均1週間ぐらい。ですから、非常に厳しい病気です。ある妊婦さんで、心臓の病気から18トリソミーに気付きました。30週でした。それで、そのときは心臓の病気の程度が非常に厳しくて、ちょっと手術とかの対象になるような病気ではなくて、私としては、胎内死亡ももちろんあるなあと思っていまして、いつもお願いしている高次施設の産科の先生と新生児科の先生に、診断していただいて、場合によっては、私たちのところでのお産でもいいのかなあ、どうしようかなあと思いながら紹介しました。あと3週間くらいしかもたないかもしれないと思ったので、わりと急いで紹介したんですね。紹介した日にはとても元気で、心臓を診てもらってやっぱりこういう病気ですね。ってことになって、そして、お母さんは入院されたんですけど、赤ちゃん翌日におなかの中で亡くなってしまいました。前日に心臓を診てくださった心臓の専門の先生は、すごく元気で心不全もなかったのに、びっくりされて、突然死みたいな形でおなかの中で亡くなってしまったんですね。で、その施設で、お産をして、私は赤ちゃんに会えてないんですけれども、そういうことがありました。で、お母さんは、次の妊娠怖いなあってずっとおっしゃっていたんですけれど、お父さんが「いいよ、また同じことがおきても大丈夫だから」っておっしゃって、そしたら赤ちゃんがすぐやってきたんです。最終月経は違っていたんですけれども、うちに来てくださって、予定日を決めてみたら、予定日がまったくおんなじ日だったんです。その偶然にすでにびっくりして、もちろん妊娠中はそういうことがありましたから、お母さんは心配していろいろありましたが、別にどうということもなく無事生まれました。亡くなったのは男の子で、今度生まれてきたのは女の子だったんですけれども、私たちはその子が帰ってきたっていうことがすぐわかったんですね。何ですぐわかったかというと、お産後の写真を見ていただいたようにお産後の赤ちゃんって言うのはきわめて覚醒していることも多いです。その子はまずお母さんの顔を10秒くらい見て、それからお父さんの顔を10秒くらい見て、それから私を10秒くらい見て、ということを、何度も何度も繰り返して、戻ってきたよ、ってことを教えてくれました。途中で私は耐えられなくなって、部屋の外に出て、逃げ出したんですけれど・・。そんなふうに帰ってきたことを教えてくれました。非常に不思議で、赤ちゃんの魂は、ご両親が産まないという選択も許していると言いましたけれども、魂が戻ってくることもあるんだなあ・・・。としばしば思っています。
 
 
 最後に、短歌を紹介したいと思います。私が今年の春に非常に感激した短歌で、明日香医院のホームページにも載せたりしているので、ご覧になった方もあるかもしれませんけど、
 「生まれたき みずからの意志つらぬきて 我はこの世にうまれしならむ」
という短歌で、これを作られた高松さんはすごく聡明な方で、97歳で去年亡くなっています。亡くなった後で、自費出版で「天機」という歌集が出てるんですけれども、朝日新聞に「折々のうた」というのが1面にあるんですが、大岡信さんの連載にこれが出ていたんですね。すごいなあと思って、連絡したら、ご遺族が歌集を送ってくださったんです。その歌集に、子連れで夫の家を出たとか、とても元気な人生を送られたことがわかるんです。この歌を読んで私が思ったのは、生きて元気に産まれてくるいのちも、障害を持って生きるいのちも、生きることのできないいのちもあります。先ほどいったように産まれてくることのできないいのちもありますけれど、すべて自らの意志を強く貫いているなあ・・・。ということがお産のそばにいるとよくわかりますので、この歌を紹介しようと思いました。

 先ほどお話したように、いま産科医療はめちゃめちゃになっていて、非常に不幸のどん底にあるような感じがあります。結果が望まないものであったときに、そのことをめぐって、産む人と医療者の間に軋轢が起こってしまう。結果的には、訴訟になったり、訴訟にならないまでも、その背後にいろんなことが起きる。今の訴訟件数からすると、産科医100人に1人が訴えられるようで、そうすると一件の訴訟の後ろに紛争が10倍あると考えられ、10人に1人ぐらいが1年に1回位、いろいろなことに巻き込まれる。たとえば24歳で医学部を卒業して、40年間やってるとすると、100分の1×40って、すごい高いなあと思います。残念ながら、現実はそういうことになっていて、ひどい医療者ももちろんいると思いますが、私の友人たちでこんなすばらしい人はいないという方が、やはり訴訟をされる立場になっておられるようなことを見聞しますと、とても残念だと思います。
 この間も新聞に、60歳の人が、アメリカに行って卵をもらい、体外受精をして戻ってきて、日本の個人病院がお産をひきうけたという記事がありました。あまりにも尋常でない事例で、この他にも卵子をもらって50代の高齢出産は結構あります。あまりにも無理すぎると言うか・・・。そういうことを言うと袋叩きにあうのかもしれませんが、やはり、どんなにしても身体年齢というのはあるわけですから、からだの生理を省みないようなことは、やはり異常になります。それから、生まれてくる赤ちゃんについていろいろ調べて、それで、じゃあいい子しか要らないって、いのちを操作できるような錯覚に陥っているとか。
 とにかくそういうことが全部くしゃくしゃになって、めちゃめちゃになっていると思います。お産を診ていると、やっぱりうまくいくものはどうやってもうまくいくし、うまくいかないものはどうやってもうまくいかない。本当に一生懸命やったときには守られてるって言うことが非常によくわかるわけで、自分に与えられたものを謙虚に生きるということが、とっても大事なんじゃないかなあと思う日々です。
 これで時間だと思うので、大変ありがとうございました。

大野明子先生講演会「いのちを産む」講演録(3/3)

  <――  質問に答えて ――> 

 なかなかお答えにくい質問をいただいてしまいました。
 「初めての妊娠で、帝王切開になってしまったお母さんたちが多くいます。」
 そうですよね。東京都では、東京都の分娩統計って言うのがありまして、10万例ぐらいのお産をまとめたものなんですが、赤ちゃんが1人で前回が帝王切開じゃなくて、骨盤位じゃないお産の帝王切開率が、2000年に21パーセントです。今日もうちで1人目のお産をお世話して、富山に行かれた方で、2人目3人目が双子で下から産めたという方が来てくださってますけど、赤ちゃんが2人いると、双子っていうのは下から産めるんですけど、やはり1人のお産よりかなりリスクが高いので、初産の双子なんて帝王切開している人がすごく多いんじゃないかと思うんですね。ですから、双子以上はたいてい帝王切開になってるんですよね、今は。それから、逆子もですね、3年ぐらい前から、逆子の骨盤位の経膣分娩で結果が悪いと、訴訟でまったく勝てないので、骨盤位という理由だけでどんどん帝王切開が増えていて、骨盤位で下からのお産でやってくれる施設は非常に少なくなっていると思います。それから、前回帝王切開はですね、VBACといって、Vaginal Birth After Cesarianのことで、帝王切開の次のお産を下から産むことなんですけど、それをやってくれる施設はどんどん減っていると思います。一回帝王切開をすると、何が危ないかって言うと、いわゆる横切開という子宮下部を普通に切った帝王切開の場合でも、次のお産で子宮が破れることがあります。また縦に切るとそのとき子宮の筋層が断裂しているので、まず破裂するんです。ですから前回の帝王切開で縦に切るとVBACをやってもらえないんですけれど。縦に切るときというのは、週数が早い25週くらいの帝王切開です。一番悲惨な例は、23週くらいでやむを得ず帝王切開した、うまく出ないから縦に切った。子どもは蘇生したけど助からなかったと。子どもは亡くなったのに帝王切開のあとだけ残ったって言う悲劇も実はあるんです。
 普通に満期の横切開というのは、VBACをやってもいいのですが、大体200回に一回ぐらい子宮が破裂するってことになっています。前回帝王切開は、そこにメスが入っているので、縫い方がいい悪いじゃなくって、同じように縫うんだけど、きれいにつく人とつきにくい人があるんですね。縫い方が悪いときもあるかもしれないし、そこにばい菌がついちゃったかもしれないし、いろいろ理由があって、前回おなかを切ってしまうと次のお産のときに200分の1くらいは子宮が破裂します。それは、おそらく陣痛促進剤なんかをやむをえず使うともう少し確率が増えるかもしれないけれども、そういうことになります。200分の1くらい、低いじゃないか。とお思いになると思いますけど、確かに200分の1って低いですけど、子宮破裂になってしまうと、赤ちゃんがお産前に子宮が破れておなかの中に飛び出すので、そうすると赤ちゃんはお母さんから完全に酸素をもらっているので、5分間脳に酸素がいかないと、不可逆的な変化が起こるわけです。いのちが助からないか、いのちが助かっても、普通にしゃべったり、歩いたりできない子どもになってしまうので、子宮破裂になってしまってから、5分以内に子どもを出すって言うことはかなり大変なことなんですよ。そこから、麻酔をかけたりとか、5分というのは一瞬ですから、破裂してしまうと赤ちゃんの救命というのは、きわめて厳しくなってしまい、それだけじゃなくて、破裂した子宮の切れたところからジャーって大出血するので、お母さんの救命も、お母さん助かったら御の字ってくらい大変です。ですので、そのVBACをやるためには、最低でも一番長くても30分以内に赤ちゃんを出せること。つまり、24時間産婦人科医が2人いて、麻酔科医もそういうことになってから呼ぶと、家から来ると、寝てたりしたら絶対30分くらいかかってしまうので、麻酔科医も院内にいて、それから、赤ちゃんの状態も悪いかもしれないから、新生児科医も院内にいるということになると、そんなことのできる施設っていうのは、めったにないです。今、ひとつの病院に産科医が2人か3人しかいなくて、ぜいぜい言いながらやっているような状況では非常に困難です。ダブルセットアップといって、いつでも30分以内に帝王切開できるという状況でお産をやるという条件を作ることそのものがすごい難しいわけです。
 それが、たとえば10月の21日予定日です。10月21日の正常に行けば午後3時に産みますから、すみません休みの日ですけどスタンバイしてください。というなら、その日だけスタンバイすればいいですけど、お産というのは妊娠37週0日から41週6日まで5週間ですよね。全部満期で正常産ですから、それはすごく大変なことで、そういうことに安全確保をして、お産をやるというのはきわめて大変なので、それに比べて、じゃあすみません38週になったら切りましょう。といって38週になって予定帝王切開することは、簡単なことですから、どうしてもそういうふうになるわけですね。なので、質問用紙に
 「2人目も帝王切開でという現実に、お母さんたちがどうしようもない悲しみを抱きます」
 そうだと思います。ただし、VBACの態勢を作るということはとても難しいです。岐阜県でVBACできるところはあるでしょうか。長良医療センターはどうでしょうか。個人のところで、ドクターが2・3人いて、自分たちで麻酔をかけてできるところはできるかもしれないですけど、そういうところは逆にリスクを冒さないと思うので、やはりなかなか難しいですよね。
 この質問用紙で、
 「明日香医院のお産とは対極のお産で、そういうお母さんたちに大野先生からメッセージをいただきたいのですが」とありますが、大変難しい質問です・・。
 やっぱり帝王切開でも子どもが無事でお母さんも無事でよかったと言うことに感謝して、受け容れる、ということなんじゃないかと私は思います。覆水盆に返らずで、やはりおなかを切ったらそれは元には戻らないんですけど、だからもし何かあるとしたら、やはり初めてのお産はすごく大事だから、とにかく下から産めるようにしましょう、ということで、私たちのところは確かに経膣率98パーセントですけど、産婦さんに言っているのは、「1日3時間歩いてください。」と言っています。そう言うと、「エーッ!」って言ったり、「できませーん。」と言ったり、「何で3時間なんですか?」なんて理屈をこねる人がいますが、そんなのはどうでもよくって、とにかくそれだけやるとほとんどの人は産めます。それだけやっていただくということを、やはり次の世代に伝えてほしい。そうできなかった人の、その悲しみを伝えてほしいと思います。
 このままいくと、人手不足を理由にたぶん帝王切開が、どんどんもっとうなぎのぼりに増えます。私が、産科医になった15年間でも、なにか異常がとても増えている気がします。「どうして産めないの?」と言うことがしばしばあって、人の遺伝子がそんなに簡単に変わるとは思えないので、そんなに難産が簡単に増えるとは思いませんが、やはり生活がこれだけ自然から離れているのに、お産だけ自然に、というのはやっぱり無理なんです。「お産だけ自然に」というのはないものねだりですから、自然に生活を、心地よく人間らしく、生き物らしいものにしていただいて、ぜひ初めてのお産を大事に下から産んでいただく、ということを取り戻していく以外にないんじゃないかなあと思います。そうできなかった人たちの、その悲しみを伝えていただけたらなあと私は思います。
 お答えになってなかったら申し訳ないんですけど・・
 私たちのところも、前回帝王切開の方をお受けしていないので、本当に申し訳ないと思うけど、やっぱり現実的に安全を確保できませんので。やはり、それで、お母さんに死んでもらうってわけに行きませんから。
 ただ、一回帝王切開だったら、次もおなか切って産めばそれでいいのか、というとそれはそうでもすまないというのが、昨年の3月に福島県で産婦人科のお医者さんが逮捕された事件がありました。新聞も書いたりしているのでご存知かもしれませんけど、あれは、福島県の浜通りという、そんなに福島県医大から遠いわけじゃないんですが、山越えで3時間みたいな、そんなところにある大野病院に、1人で勤務されているドクターがいました。大野病院は年間200人ぐらい生まれていましたので、年間200人をひとりでやっていたわけです。月に1回週末大学から当直に来てくれる以外は、いっさい町から出ず、やっておられました。帝王切開時の母体死亡だったわけですが、どういう症例だったかというと、前回の帝王切開をほかの病院でやっていて次の出産だったんです。前回帝王切開をするとね、そこの切ったところが破れるだけじゃなくて、いろいろ怖いことになります。前置胎盤って病気があって、子宮の出口に胎盤があるんですよ。この間、秋篠宮妃が3人目で前置胎盤だったので、これも知られるようになりましたが、赤ちゃんの頭より下に胎盤がありますから、自然分娩の場合、赤ちゃんは生きては出てこれないんです。ジャージャージャージャー胎盤から出血しますので。江戸時代は前置胎盤で、お母さんも子どもも100パーセント死んだと思います。そういう病気なので、その症例も前置胎盤でした。それから、子宮に胎盤がくっついてはがれないってことがあって、はがそうとするとそこからジャージャージャージャー出血するのを癒着胎盤って言うんですけど、本当はすごーくまれで、1万分の1とか結構まれなんですけど、前置胎盤だとこの確率が増えるんです。それから、前回帝王切開するともっと増えて、その症例は前置胎盤の癒着胎盤でした。ただ、その帝王切開された先生は、事前の検査から、たぶん癒着していないだろうと思われてやられてですね、実際やってみたら癒着胎盤で、何とか胎盤をはがして、子宮を取ったんですが、そのときには5リットルくらい出血していて、何せそういうとこですから、輸血用の血液をとりよせるのに1時間半位かかってですね、最初は輸血は用意していたんだけど、足りなくなって、追加がなかなか届かなくて、追加の輸血をして、子宮を全摘しておなかを閉めたんだけど、お母さんは不整脈が起きて亡くなってしまった。と、そういう事件なんですけど、今その事件が刑事裁判になってますからその行く末はともかく、私が思うことは、その人も前回帝王切開を別の病院でやっているんですけど、一番知りたいのは、何で帝王切開したんだろうっていう理由でね。それが、やむをえない理由だったら、しょうがないですけど、それがもし避けられた帝王切開で、もし前回のお産が下から生まれていたら、たぶん前置胎盤じゃなかった確率はとても高いし、癒着胎盤になってなかった可能性もとても高く、したがって普通に生まれて、死なずにすんだ可能性がとても高いわけです。帝王切開をして産めばそれですむってもんじゃなくて、帝王切開をするとやっぱりそれは元には戻らないので、次は切ってもやっぱり普通の帝王切開よりうんとリスクは高い。やっぱり、ひとつの介入は次の介入を呼ぶってことなので、おなかを切ってもらえるからいいや、って、どんなにしててもいいやって、最後はおなか切って産めばいい、なんて思っていると、とっても危ない。ということを知ってほしいなあと思います。
 
 もうひとつの質問で、「産科医をされていて、今までに一番感動されたことは何ですか?」
 これもなかなか難しくて、お産は心配じゃないときはいつも楽しいのです。いかにこの仕事が楽しいかというのは、開業して初めてわかりました。勤務医のときにも、外来で私のところにいらっしゃって、たまたま私がお産の場にいた、というお産はもちろんありましたけれども、こうやって開業しますと、私1人しかいないので、全部私が健診を診ていて、もちろん助産師もいてくれてますが、全部私たちが診ていて、お産も全部私たちが診ている。勤務医時代が、行きずりのお産だとすると、今度は行きずりじゃないお産です。それがすごーく楽しいなあと思っていたところ、開業してさらにわかったことは、次のお産で戻ってきてくださることが、こんなに嬉しいのかと思いました。退院されるときに、また産みたいといってお帰りになって、また戻ってきてくださって、また2人目を産んで、っていうことをやっているうちに、開業して今年で10年目ですけど、うちで4人産んだ人が4人いて、中には男の子4人とか、ちょっとなかなかすごいですけど、そういうことは本当に嬉しいですね。お産というのはすごくプライベートなことなので、そういうプライベートな時間を共有するパートナーとして、私たちがいい、と選らんでもらえるということは、本当に嬉しいことで、楽しいことで、それが一番幸せなことだと私は思います。「また産みたい。」と言ってもらえることが何より嬉しいです。

1月の行事予定ほか【園だより(2008/1)から】

 あけましておめでとうございます。今年も皆さんの協力を得て、子ども達のために力を尽くしていきましょう。保育士の未熟なところは家庭でカバーしてください。また家庭で困ったことがあればいつでも相談にのります。土・日・祭日の子どもを預けるところがない時は、あずけっ子しましょう。みんなで助け合って子ども達を育てていきたいと思います。

【1月の行事予定】
1月11日(金)年長懇談会
1月14日(月)AM:臨時父母総会 PM:3歳児懇談会
1月27日(日)1・2歳児懇談会
* 作業日などはまだ日時が確定していません。掲示版を見て確認してください。
* 3・4・5歳児 そり滑りやスケートに行きます。スキーウェア、帽子、手袋、厚手の靴下、長靴、スパッツなどの準備をしておいてください。手袋は2セットは必要です。
(スノーブーツより長靴のほうがよい。)
 
【お願い】
*卒園式の準備を、できることからやっていきたいと思います。お手伝いできる方は申し出てください。
*恒例の文集を作ります。係になってもいい人はいませんか?
*子どもの靴やぞうりが散らばっている時は気付いた方で揃えてください。
*園庭の片付けやゴミ拾いなども同様です。

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