鳥取砂丘5月23、24日

総勢40名で鳥取砂丘に行きました

砂丘の近くには「鳥取市サイクリングターミナル 砂丘の家」という団体には格安宿泊施設と、無料のキャンプ場がありました

鳥取砂丘朝焼け写真
[鳥取砂丘朝焼け写真]
砂丘で朝ごはん
[砂丘で朝ごはん]
朝の砂丘
[朝の砂丘]
砂丘を登る
[砂丘を登る]
砂丘を下る
[砂丘を下る]
砂丘を走って下る
[砂丘を走って下る]
登るのは一苦労
[登るのは一苦労]
砂丘 下り方にもいろいろある
[砂丘 下り方にもいろいろある]
3人いたんだ
[3人いたんだ]
いいもの持って登るでも実はコレ、砂丘の忘れものまたは、ゴミとも言う
[いいもの持って登るでも実はコレ、砂丘の忘れものまたは、ゴミとも言う]
お姉ちゃんは大変
[お姉ちゃんは大変]
だんだんみんなが集まってきた
[だんだんみんなが集まってきた]
砂の風呂
[砂の風呂]
いよいよ、本命凧あげ今日は風が強い
[いよいよ、本命凧あげ今日は風が強い]
よく上がる凧
[よく上がる凧]
こんな凧
[こんな凧]
凧糸を離したらたいへん
[凧糸を離したらたいへん]
凧離したらたいへん
[凧離したらたいへん]
凧
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凧を操るのがじょうずになってきた
[凧を操るのがじょうずになってきた]

等身大の自分を

前田 綾子

――― 札幌 交流保育から ―――

今回の札幌交流保育の合同リズムは62名の年長児。この集団から刺激をもらうこと。くさぶえは6人で参加、他の保育園は20人くらい。20人もいれば交流しなくてもいい?そういうことではない。

私はいつもくさぶえの年長児から離れるように心がけている。できるだけ他の保育園の子に声をかけ関わろうとしている。くさぶえの子が困っている時でさえ、会場園である東札幌保育園の大人に何とかしてもらえるように交渉してほしい。そうするとよその保育園の人はとってもやさしい。そのことに気付いた子は前田の近くには来なくなる。シメシメ…。これが交流する大きなメリット。3回の交流の経過はおもしろい。

1回目、甘えたい子はそういう大人にベッタリしている。その様子を遠目に見ながら、またシメシメ…。ところが3回目になるとどうも様子が違う。ベッタリしなくなる。

1回目に友だちに取り巻かれ人気絶頂だった子が、3回目にポツンと1人。という子もいれば逆パターンでずっと大人のそばにいて子どもには興味ありません。という子が3回目には他園の子数人と雪遊びに興じている。また、毎回、「友だちできちゃった。」と嬉々として楽しく過ごしている子もいる。でも1回目と3回目は同じ子ではない。そこがまた不思議。

私は?といえば1回目、東札幌のたぶんリーダー格の女の子からは一瞥もされず、幼いタイプの男の子と遊んでいたが3回目になると、がぜんリーダー格の女の子達に囲まれいろいろと質問される。

「くさぶえでしょう。何ていう名前?」

「今何歳?ふーん。富岡は○○歳だけど。」

「函館合宿にどうして来なかったの?」

「側転、どうしてやらんの?できんの?」

6歳という年齢は育ちの節目、この時期の12月から3月までの間に子どもに何が起こっているのだろうか?斎藤公子先生はこの時期の保育を「秒読み保育」と表現されていた。秒単位で子どもは変化し、発達、成長している。この卒園期に交流なしの保育は考えられない。

合同リズムの中で跳び箱やこまなど、1人で勝負しなければならない時、きっとドキドキすると思う。何回も失敗する子もいれば一発で決める子もいる。跳び箱では飛び板を離して挑戦する子がいる。そういう子を見て6歳の子どもは刺激を受ける。また、3ないし6のグループに分かれてリズムをするので、荒馬やスケートで、外側から抜いてトップに出る子。内側から小さく回って1番を喜んでいる子もいる。

同年齢のそういう子を見て、

自分はどうしたいか?

自分の力でできるのはどれくらいだろう?

自分ができる範囲でやってみる子。

できないかもしれないけれど、やってみたい子。

何度失敗しても淡々とやり続ける子。

失敗してしまった。くやしい。泣けてくる。泣いてやらなくなってしまう子と、涙をふりしぼってやる子。

かつて斎藤先生の宿泊研修の合同リズムではどんなに泣いていても、「やりな!」という厳しい声が飛ぶ。泣きながらでもできるまでやらせて、出来たときの子どもの誇らしさに斎藤先生は賛辞を送る。それは「できる、できない」ではない。やろうとする意欲や態度を賞賛する。斎藤の厳しい要求にくじけてしまって泣いて、かたくなにやろうとしない子がいた。そういう時どうするか?ここが保育者の力量が問われる。

さて、保育士のあなたならどうする?

父母にとっては自分の子がそうなった時、どんな気持ちになり、どういう声をかけるだろう?

62人の年長児たちはそれぞれに自分と他の子を見て何かを感じている。それは優劣ではない。できない子に心を寄せて声をかける子に、自分も何か言いたいと思う子もいるだろう。かっこよく決める子にあこがれて、ああいうふうになりたい!とがんばる子もいるだろう。がんばることが楽しいと思える時と、がんばることが苦しいと思う時もある。強い自分と弱い自分を見つめる。

等身大の自分、今の自分を見つめ、61人の年長の中で友だちを見つけていくのだろう。そして6歳の子どもは自分の課題を自分で見つけていく。自分のペースで、バランスを取りながら。

あこがれる自分。

がんばる自分。

今はこれくらいでいいかな?と思う自分。

緊張感の中で自分の緊張度合いを確かめ、それが楽しめるようになると本番に強くオリンピックでメダルがとれるようになる、らしい…。

でもオリンピックには出なくても、本番に強い子どもは確かにいる。

札幌交流保育ではくさぶえの子どもがどうか…。ということは考えていない。この年長児62名の子ども集団、そして4園の保育者集団、62名の親集団のあり方、質を考えている。

基本のリズム、そこにいかに子どもに手をかけているか?

「手塩にかけて育てる」という言葉があるように、手の汗が乾いて塩になるくらい子どもに手をかけよ。

手の開きが悪い子が跳び箱できれいに手を開いて跳ぶことは難しい。(公立保育園との交流で身にしみて感じた)

創作リズム「十二月」の最後のポーズを何にするか?

ここに自分の最も苦手とするポーズをもってくる子と得意なポーズにする子。または何も考えず適当にやる子。

乱舞が中心となるリズムではいかに人の後ろにつかず、自分の行き方を瞬間に判断するか。

「行き方」は「生き方」。

真似をしない。

人のあとにつかない。

自分の道は自分で拓く。

これが斎藤公子が考えたリズムあそびの卒園期の最後のあり方。

からだをつくることがこころをつくること。これが文字学習にはいる前の6歳の子どもの姿。

そして保育の実践報告は絵で。

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鳥取砂丘で凧をあげることについて、考えました

前日、大山登山を終えた一行は、山を下り、海沿いを走り、鳥取砂丘へ向かいます。

しかし、鳥取って不思議なトコロですね。朝は、山の中にいて、「おいしい牛乳を飲みたい」って言っていたんですよ。さて、「牛乳だ」と出発して、30分も車を走らせると、ドーンと目の前に海が広がるんです。海と言えば、美味しいお魚です。海を見ながら、美味しい牛乳なんて言いませんよね、普通は。でも、鳥取ではそれもアリなんです。私たちだって、やりました。海辺の道の駅で、「おいしい大山牛乳」を飲んだんです。味?最高でしたよ。白い口紅をつけた子どもの顔が、証拠ですから。

大山の荒々しさに圧倒された心で、鳥取砂丘を眺めます。大山が男性的だとしたら、砂丘は女性的な景色ですね。やや殺風景かもしれませんけどね。静かな海と、静かな砂浜。そこから急角度にセリ上がる砂丘。一番高いところは「馬の背」と呼ばれるらしいですね。遠くから見ていても、砂丘のてっぺんに行ってみたくなります。せっかく、岐阜からここまで来たのですから。でもね、それはオトナの考えなんですよね。子どもは、今のところ砂丘を見ていません。だって、目の前に海が広がり、ハワイのような砂浜(すこし言い過ぎですね)が続いているのですから。砂丘よりは、海遊びでしょう。

鳥取砂丘で海遊び

海沿いを遊びながら砂丘へと近づきます。海水浴にはまだ冷たいです。それでも、水に入るんですね。実に気持ちよさそうに。彼らの本来の目的は、これだったのかと思ってしまいました。ところで、砂の急斜面を登ったこと、ありますか?真下に立つと、アリジゴクに入ったアリのような気分になります。あくまで、個人的な見解ですけれど。

誰かが、その急斜面をよじ登り始めました。学童が、飛び出します。年長はやや控えめに登っていきます。最も意欲的だったのが、大山ではお花摘みに徹していた二人でした。2歳児、砂丘面を登る、です。誰が手を差しのべるわけでなく、誰に後押しされるでもなく、登りきりました。目的や意味を超えて、本能の赴くままに、です。かっこいいですよ。

鳥取砂丘をよじ登る

鳥取砂丘を滑り降りる!

海辺は穏やかすぎて、凧揚げはあきらめていました。でもね、風が吹いていたんです。砂丘のてっぺんでは、気持ちの良い海風が吹いていました。ちょうど、凧揚げにふさわしい強さです。

一人が、海辺においてあった凧あげセットを取りに行きましたよ。砂丘を、脱兎のごとく走り降りて。園でつくった凧をそれぞれがあげました。風をうけて空に舞う凧、凧、凧。

正月の行事だと思っていましたが、5月に砂丘であげる凧は、生き生きしていました。これが2月では、北西の季節風が強すぎてダメでしょうね。8月なら、どうでしょうか。砂が熱すぎて、立っていられないでしょう。5月に、砂丘で、凧あげ。これが鳥取の正しい楽しみ方でしょうか。大人も、子どもも大満足です。

凧あげに大満足

時間が過ぎるのも気にせず、温泉までつかって帰りました。もしかして、また来るかも、なんて思いながらね。

「そうだ、大山に行こう」といえるのは、あなただけ

まずは個人的な四方山話。小さい頃から山登りが好きだった。百名山かどうかにはあまり興味はなかったけれど、近くの藪山、名前が素敵な響きの山(例えば「越百山」「御座山」「飯豊山」…)に登るのが好きだった。「とっとりだいせん」だって、気にいる方に入っていた。でも、中部地方に居を構える身として、鳥取にある大山は「いつか行けたらいい山」のひとつだった。行きたい気持ちはあれども、「よし、行こう」とまでは思わない。そんな山のひとつだった。

ところが、晴天の霹靂とでも言おうか、春に行われた保育園の運営委員会でのひとコマ。園長曰く「我ら、大山に登るべし。」と。冗談かと思った。でも、そこで冗談を言う人でも場でもなかった。その時すでに、保育園直属の車と思われても不思議ではない2台の青いプレマシーが鳥取に向けて疾走している様子が目に浮かんでいた。(実際には青いプレマシーは1台のみ参加だったが)

5月26日午前2時ごろ出発予定。朝8時ごろ登山口に到着する予定だった。出発前日の金曜日に仕事から帰ると、妻は「今から行くよ」と言うではないか。しばし、唖然。しかる後に、納得と決断。よし、行こう。たとえ晩酌をしそこなっても。たとえ名神高速がリフレッシュ工事をしていようとも。かくして、鳥取大山へ、そして鳥取砂丘への旅が始まった。

鳥取は遠かった。とりわけ、高速道路を降りてから宿泊地までが遠かった。それでも、闇の中にそびえているはずの大山を想像すると、胸は踊った。運転手以外は、深い眠りの中だったけれども。深夜3時。大山山麓のバンガローに「無事」到着した。

翌朝はよく晴れていた。登山日和である。信仰の山、そして全国的に有名な山であることを十分に感じさせる登山口を出発する。年長5人と園長、学童が2人、運転手兼付き添い兼お楽しみの大人が2人で登山だ。春から初夏へ移り変わりつつあるブナ林(素敵な色、香り、霊気?を感じる。来てよかった。)の中、気持ちよく登る。実によく整備された登山道だった。きっと想像を絶する数の登山者が訪れるのだろう。この「よく整備された」が問題。木枠や石段で階段状の登山道にしてある。園児や学童にとっては、自分の腰あたりまである段差だ。勢いをつけて登る子どもたち。なかなかやるじゃないか。

大山登山開始2012年9月

ブナ林から潅木に変わる頃、隊列は大きく二つに別れた。先と後。後のチームを(勝手に)園長に任せる。内緒のことだが、付き添い人とはいえ、頂上の一番乗りには参加したいのだ。周りの樹木が低くなるにつれ、登りは急になり、目の前に崩壊の進む山肌が圧倒的な迫力で迫る。かっこいい。来てよかった。頂上にたどり着く前に二度も「来てよかった」と思える山、今まであっただろうか。

山頂に近づくと、登山道は大きく変化する。いわゆる「木道」の登場だ。段差の激しい急登をへこたれずにやってきた後だけに、思わず走りたくなる。「ゆっくり行こうよ。」と言っても、「早く行きたい」と走り出す子。隊列がさらに別れていく。周りはダイセンキャラボク(と言うらしい)の木が一面に広がっている。その中を一本の木道が高みを目指して一直線に…。幻想的な風景だと思う。実際は、まわりには登山者がたくさん。モンベルショップから出てきたばかりのようなおしゃれな服装の若者、中高年などなど。斬新だが、幻想的ではない現実。大山は、洒落た山なのだ。

頂上で待つこと15分。先行組の残りがやってきた。一様に疲れた顔だが、やり遂げた者の目の輝きも…ないことはない。頂上で記念撮影を行い、海を眺め、雲を眺め、崩壊する足元を眺めた。昨夜通った高速道路も見えた。子どもたちは一体何を見ているのだろう。何を感じているのだろう。そして何が残るのだろう。

大山頂上2012年9月

待望の昼食タイム。ラーメン、スープ、いずれも既製品だ。食育の観点からは「×」だろう。しかし、ここは大山。山の上だ。空気と同じくらい、美味しいのだ。突然、オニギリを手に、年長のひとりが泣き出した。泣きじゃくる声を翻訳すると「お父さんがいい」のだそうだ。なだめすかして帰路の支度をする。園長と年長の二人はまだこない。引き返しの時間を待って、下山を始めた。安全第一が鉄則だから。

木道を降りていくと、前の方で「○○○~」園長の名を高らかに叫ぶ学童、そして年長。遅れていた3人が、途中であきらめることなく、一歩一歩を歩を進めてやってきた。ブナ林で見せていた消極的な表情は、登頂への期待や達成感、そしてたくましさに変わっていたように感じた。頂上まで、行くといい。そう思った。5月下旬、日は長い。天気が崩れる心配も、ない。道は一本。大丈夫。

下山は、難しい。ましてや、滑りやすく段差の激しい急な登山道。慎重に下る。あのこと、そのこと、このこと、あちこちに心配の種を撒きつつ下っていく。そんな付き添いのオトナを尻目に、子どもたちは楽しんでいた。目の前の雄大な景色を?否。大きなてんとう虫を見つけたり、木の葉をちぎって「お茶ができた」と騒いだり。形や色のおもしろい石を見つけたり。「自然から学ぶ」って、誰の言葉だったかな。誰でもいいけど、目の前の姿がそのものなのだと思った。たとえ、整備された登山道においても。

エピローグは温かい話を。登山口に足湯があった。大山登山の感興にひたる大人、幼児二人の託児をやりきった達成感にひたる、もう一人の大人。その間を、きゃあきゃあと動き回る子ども。その元気は、どこから来るのだろう。生きているって、すばらしい。

人形劇のご案内

<終了しました。多くの方のご来場、ありがとうございました。>

日時:2009年9月6日(日) 開場12:30 開演13:00(上演時間90分)

会場:岐阜市長森コミュニティセンター(岐阜市前一色1-2-1)

出演:岩瀬よしのりと鬼剣舞(おにけんばい)

演目:人形劇『モンゴル民話 スーホの白い馬』

鑑賞料金:1,000円(大人・子ども同一料金:2歳以下無料)

主催:くさぶえ保育園

お問い合わせ:058-371-7656(くさぶえ保育園 担当:松原)

交通:名鉄各務原線切通駅、JR高山本線長森駅より徒歩10分、自家用車の場合はなるべく乗り合わせでご来場下さい。

劇団紹介:岩瀬よしのりと鬼剣舞(おにけんばい)>http://www.onikenbai.com/

【会場周辺図】

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