交流保育~沖縄・古宇利島~

7月1日から6日までの5泊6日で、年長組が沖縄の古宇利島へ交流保育に行ってきました。

古宇利島体験記(1)

沖縄古宇利島体験記  若森 幸代

今回の園外保育参加は、昨年11月の沖縄から是非行きたいと決めていた。何でもいいから普段の生活ではでき得ない体験を少しでも多くさせたいと思っているから。11月は水も冷たくて、入りたい子は震えながら海に入っていたけれど、健太朗は波に近寄ることさえ怖がってできなかった。だからこそ、ベストシーズンの沖縄に行けたら何か変化があるんじゃないかと何となく思った。あとは、単純に私もこの時期の沖縄に台風三昧でホテル缶詰の思い出しかなく、子供に便乗して楽しみたかったから。けれど、11月の時点での健太朗からは想像できないほど、6月に始まったプールでの遊びっぷりは弾けまくっていて、沖縄を待たずして水への恐怖はクリアできていたのだけれど。

そして、子供は年長に健太朗が付属するような形での出発が決まった。日程など旅行の計画は文ちゃんをはじめとする年長の母たちが前田さんと相談を重ね、骨を折ってくれたおかげで何の心配もなく出発の日を迎えることができた。
一番大変と思っていた飛行機の出発ロビーまでの行き帰りも年長の母が送ってくれたおかげで、わたしは殆ど年長の引率らしきことはしなかった。飛行機の中やその他の移動中も考えていたほど大変ではなく、大きくて重いリュックを誰も泣き言ひとつ言わず背負い歩いていたし、健太朗もそんな年長を見たからなのか手がかからなかった。

島の貸し別荘は、昨年できた島への橋が一望できる絶景の場所に位置していた。6日間もこんな景色を見て過ごせるなんて、なんて贅沢な旅なんだー!と興奮した。梅雨明けの暑さも吹き飛んだ。別荘での生活で私は主に台所での手伝いに入った。旅の間、外食は三回だけ。自炊する旅も経験したことはあるけれど、それ以上にむしろ普段よりも恵まれた食生活をこの旅で送ることができた。大変さ以上に、初めての土地とその食材、借りた台所であれこれ相談しながら料理をしながら生活するということが楽しくなっていった。子供たちも外食のときより別荘での食事のほうが、よく食べてくれていたように思う。とても楽しそうに。そのほか交代で入った風呂や皆で枕を並べて寝たことなど、一つ屋根の下、同じ釜の飯を食べながら親元を離れてこれだけの期間すごすことは、自然と年長の間に一体感を芽生えさせたように思う。帰りまでの雰囲気で何となくそう思った。

3日間通った実りの里保育園や雨の日以外は大波小波のいろんな浜でよく遊んだ。けんかもあまりしないで大した事件もなく。それだけ楽しく夢中になって遊べたということなのかなと思う。個人的にこの旅の中で印象に残ったこと。最終日にみんなに話したときは、身体をさらわれてしまうほどの荒波での海水浴と、大雨の中島への橋を渡って別荘へ帰るとき直面した岐阜で味わったことのない自然の驚異などと話した。この二つは刺激的に印象に残る。でもこの落ち着いて文を書きつつ思い浮かぶのは食事を作った思い出。毎日の食卓の様子。

結局のところ、健太朗は寝るとき以外は年長にくっついていたし、勝手に好きなように遊んでいた。荒波には怖くて少ししか入れなかったけれど、小波は充分に楽しめた様子。私も健太朗と離れたところでもゆっくり過ごしたり海を楽しめた。この旅が子供たちにどんな変化をもたらすのか、分かるものなら知りたいと思うけれど、鈍感なわたしは健太朗のそれにも気づけないかもしれない。でもそれでもいいと思う。いつも以上に遊びに夢中な顔やいろんなことに必死な顔を見れた。それだけでこの旅を体験できた意味は大いにありそうだ。

古宇利島体験記(2)

「沖縄」  汲田 恵子

 沖縄から戻ってからの晶の第一声は、「明日も沖縄行きたい!」だった。
さらに「ママ、途中で帰るなら最初っからいないほうがいい。ずっといるか、ずっといないかのどっちかにして」と晶は言った。 行きの電車では、半泣き顔で重たいリュックを背負っていた晶が、帰りの電車では、袋いっぱいの珊瑚と貝殻で一層重量の増したリュックを、絶対に自分で持つ!と言って離さなかった。「自分で自分のものを準備して、自分で持っていく、自分で使う」、沖縄でそれが出来た自分を誇らしく感じたのかな。最近はくさぶえに行くときも、起床したらすぐに二階で自分の衣類と一日の着替えを全部用意してリュックにつめてから一階に降りてくる。

 なにより沖縄旅行は、楽しいことばかりだったそうだ。

 「大波のザブーンとした海」「別荘」「実りの里保育園でうんていをしたこと、れんぶ(果実)をたくさん食べたこと」「実りの里保育園でヤギと散歩したこと」・・・晶は「もう、楽しいことばっかりやったんやて!」を繰り返した。 旅行中は「りんちゃんがいればいいのにねぇ」と何度か言っていた。
 実際、私にとっても本当に楽しいことばかりで「あっという間の沖縄旅行」だった。

 古宇利島は、別荘からの景色も、快適な別荘生活も、定食屋で聴いた三味線も、青々とした美しい海での遊びも、ヤモリの鳴き声も、食後のパッションフルーツも・・・とにかく贅沢三昧、最高の気分盛りだくさんの旅だった。シュノーケリングは自分の呼吸のリズムを意識するのに最適のスポーツだと思った。次回は、覚も連れて、もっとたくさんの魚を見てみたい。
 
私は、初め、ふみやといっしんが自分で荷物の準備ができないことを心配し、口うるさくなってしまった。それを前田に指摘された。 前田は、一人ひとりの子供たちにいろいろな声がけをしながらも、「誰がどこまでできるのか」「誰がなににつまづいているのか」をひとつひとつ手に取るように確かめていた。 宿泊を共にすると、今まで全く知らなかった子供の姿を発見する。
夜眠るときに、眠れずにグズグズ言ったり、親を恋しがったりする子はいなかった。
彼らにとって一日がどれだけ充実していたかを物語っているようだった。

私にとって「実りの里保育園」へ行けたことも大きな財産となった。
 園児たちは、豊かに茂る木々の葉の下で、赤土の泥遊び、プールでの水遊び、砂場遊び、ヤギのえさやり、散歩、小屋の掃除、うんてい、紐にぶら下がってターザンごっこ・・・と、自由気ままに遊んでいた。大自然に恵まれた環境で育つ園児たちは、日に焼けて、筋肉がパーンと張っていて逞しく見えた。 園庭で、職員による園児への声かけが、あっちからもこっちからも聞こえてきた。 沖縄の言葉(!?)は、なにを聴いても自分の耳には当たりが優しく聞こえるせいかな。 職員たちはそれぞれの持ち場で、園児たちに色々な要求をしているのだが、(0,1歳児全員に頭から水を浴びさせる等)、職員の「褒め言葉、温かい笑顔」に満ちた保育園だな・・と感じた。

 全員リズムのときの職員の園児への介助の仕方も、「迷いが無い」感じがした。 職員自身がとても鮮やかにキッチリと「どんぐり」をする姿を見て、まず自分がリズムができるようにならなければなにも伝えられないんだな・・と痛感した。

古宇利島体験記(3)

井藤 裕子

帰りの 電車で弘章が寝てしまったこと いつもこちらから聞かれるのを嫌がるので あまり 沖縄の話を聞かなかった。 その日 実家に用事があり寄った。祖父ちゃん、祖母ちゃんが 早速 聞いている。 
「沖縄楽しかった?」 
「うん。」  
 「良かったねえ。また 行きたいかね?」
「うん。」
 など 話をしているのを 遠くで聞きながら用事を済ます。 
家に帰る途中 「何が 楽しかった?」と 聞いた。「水族館と海」 と答えた。家に帰ってから 「汚れもの袋 出してね。」 「母ちゃん やってよ。」 「じゃあ、洗わんでいいよ。」「何で やってくれんのじゃ。母ちゃんは もう バカ」 と 泣き出す。 それでも、その夜は いつもどうりに寝た。次の日から いつもは、一人で出来ることを ぐずぐず言うようになる。 「こっちにきて 一緒にやってよお。」 「こっちに見に来てよお。」 など。 私が 「今は 行けない。」なんて言おうもんなら 「なんで怒るんじゃ。母ちゃんは もう バカ」と 泣き始める。「母ちゃんは 怒ってないけど」と言っても 「もう 知らんわ バカ」 と 泣くのが 4,5日続いた。      

 沖縄から帰ってきて 二日目の夜 寝る時に 手をつなぎながら 「ひろくんは、ご飯を食べとる時も 歯を磨いとる時も お風呂に入っとる時も 寝る時も 母ちゃんがいなくて 寂しかったの。」 と 言った。 「沖縄 楽しかったでしょ?」 「ううん、母ちゃんがいないから 楽しくなかった。」 それから 報告会のあと「ほんとに 沖縄 行かんの?」と聞く。「うん。もう いかん。」 「なんで?」「母ちゃんが おらんもん。」とのことでした。 行けば楽しいのだけれど、ふっと、母ちゃんを 思い出して 不安や憂鬱になるのだと 思います。ちなみに、「キャンプが 今度あるみたいだけど 行く?」と聞いてみた。「行く!」 「母ちゃん また 行けんけど ひろ 一人だけど・・・。」「行く!」と言ってました。

古宇利島体験記(4)

沖縄古宇利島体験に参加して  前田 三惠子

今回後半の3日から下の子の彩と参加し、翌日からは夫も合流しました。
1日から先に出発した結萌は、初めて1人でお泊まりに参加するということや、飛行機に乗ることなど緊張して朝からとても無口。保育園で見送るときには、私にしがみついての別れでした。私も切ないような複雑な気持ちになり、この気持ちを良く味わっておこうと思っていました。そして、行ったらきっと楽しんでいるに違いないと思っていました。
そうして2日後私たちも沖縄に出発し、みんなと那覇市内で合流しました。

年長の子たちは、ちょっと疲れた顔はしていましたが、とっても元気でした。結萌も、しばらくは私にわがままも言ったりしていましたが、古宇利島の別荘に移動してからは、年長と一緒に二階で寝ると言いすっきりとその生活に戻り楽しそうにしていて、ちょっとたくましくなったなあと思いました。興奮していた彩は、車で寝てしまいそのまま布団に移動して朝を迎えました。

古宇利島の貸別荘は、見晴らしの良い快適なところでした。毎朝の散歩は急坂を下って海まで行ってそのまま泳いだり、島の風景を楽しんだり、子供たちは元気いっぱい。そして昼間は、実りの里保育園に行って思い切り遊ばせてもらいました。泥遊びや、水遊びはみんなとても楽しそうでした。

その中で、最初彩が全然遊べず、ちょっと靴に泥が付くと何度も洗いに行くので気になりました。前田は「あのヒラヒラのついたズボンを脱がせてやったら?」といいました。薄手の半ズボンがなかなか見つからず、行く直前に購入した半ズボンにはフリルが付いていました。それを脱がせて自分もどろんこに入り、思い切って嫌がる彩をどろんこにつけてたっぷり泥をかけました。しばらく大泣きしていて、(ああ、やりすぎたかなあ?)と思っていたら、そこから立ち直って、じぶんから水遊びをしにやってきて遊びだしたのです。「子供も新しい服は汚しちゃいけないと思うんだから、そんな服は着せない方がいいんだ」と前田が言い私も納得しました。汚れて遊ぶ彩は、ようやくいつもの彩らしく楽しそうになりました。

お昼を食べて、別荘でのお昼寝のあと海に泳ぎに行きました。その海も、波の穏やかなところではなくざぶんざぶんと波が打ち寄せる荒々しいところなどいろんな海を体験しました。結萌もその荒波に向かっていました。のまれて大泣きしたりしていましたが、いつもなら入ることも躊躇するような感じなのに、仲間たちと美しい海のおかげかなあと思いました。最終日の午後、美ら海水族館と海遊びに分かれたときも海に行きたいと言い、泳げないけれど最後には浮き輪を外して海に入っていて、その姿に感動しました。
帰ってからの結萌は、実りの里の保育園で遊んだ粘土質のとろとろした泥遊びやリズムが楽しかったと言っていました。そして、水遊びをしたがるようになりました。また、何かを見たいと思ったときに、いつもなら「お母ちゃんも一緒に来て」と待っているのに、自分が少し離れた場所にいても自分1人で見たいところまで行って集中する姿があり変化を感じました。まだまだ甘えん坊ですが、聞き分け気持ちを切り替えることもちょっと早くなったようで、沖縄で自分の荷物を自分で持ち、みんなと生活し、素晴らしい自然のなかでいろんな経験ができたことが大きいように感じました。

沖縄に行ってから、食事係と洗濯係など大人で分担して行い自分もそれに加わりましたが、初日から子供たちの引率と食材などを買い出し、ほとんど自炊で子供たちの食事をまかない、どれだけ汚れてもいいように洗濯を何度も回して思い切り遊ばせ、昼寝もしっかりとらせてくださっていた前田と若森母、汲田母は大変だっただろうなあと感謝しました。おかげで子供たちも体調を崩すことなく楽しく帰ってこられたと思います。
子供たちにとって、お泊まり保育はいろんな経験ができる素晴らしい機会だと思います。
こんな経験をたくさんさせてあげたい、そのためにできる限り協力していきたいなあと思っています。ありがとうございました。

▲ ページの先頭へ戻る

Copyright © 2015 くさぶえ保育園 All RIghts Reserved.