2007年度「卒園のしおり」から(12)
【くさぶえエリートのみんなへ】 篠原 義朋
よく冗談混じり(?)に言われる「しのっちも一年保育やからね」との言葉。最初はちょっと不服だったが、今は納得できる。僕はくさぶえイズム(精神)を一年しか体験していない。しかも、27年の人生のうち一年だ。
子どもらは違う。6年強のうち、5年何ヶ月とかだ。こりゃもう、ほぼ全てだと言ってもいい。しかも、僕はいろんなものにまみれて大人になっていて、かわす術も身に付けてしまっている。でも子どもらは、いつでも全身で受けとめている。家と保育園が、ほとんど彼らの全てだろうから。
おちゃらけ君だと思っていた太一郎だって、ほんとは頑張り屋さんだ。運動会の前何週間か、毎日何度も登り棒に挑戦していたのは驚いた。たまにあるように、人にアピールするためじゃない、誰も見ていなくてもしょっちゅうやっていた。あれは忘れられない。
ゆきちゃんとしゃべっていると、人間の魂そのものに触れている気がする。悪意...というと大げさだが、誰でも持っている打算とか、人に対するややこしい想いというか、そういうものを全く感じない。幸せを感じて生きていってほしいと心底願わされる。
その、舞幸、倖平。まとめて書くのは悪いけど、みんな、本当にしっかりしている。けど、どこかアンバランスな感じも時に受けた。おちゃらけ者の僕の前でまた別の顔を見せる。でも、年度後半、お泊まりが増えてきて、年長だけの時間だらけになった。三つ編みやらぞうきん縫いやら、正直、そういうことせずに生きてきた僕にはうまくできる自信がないようなことばかり、間断なく続く。音をあげるかとぼんやり思っていたら、毎日嬉々として、今までで一番充実してやっていたみたい。今や、なんか別人のように感じる時もある。
一年では僕のおちゃらけぶりはなおらなかった。一時期、無理に抑えていたが、逆に今になって噴出してきている。自分は、人を喜ばせて生きたいと思う。そういう人間なんだな、と最近考える。
こんな、くさぶえにちょっとお世話になっただけの僕だが、いわゆるくさぶえエリートの卒園児のみんな。それから今後卒園していくみんな。「今後が楽しみ...」なんて偉そうなことは言っていられない。ふらふらしている僕なんかの手の届かない、遠いところに行っちゃわないでね。そっちの心配をしてしまうくらい。
とにかく、からだにだけは気を付けて。僕に言えるのはそれだけのような気がします。
卒園おめでとう。
筆者 注: くさぶえ「エリート」という表現がちょっと引っかかりますが、他に思いつかないので。とりあえずこれで。